くららです。
本日も
「このブログに遊びに来てくれた人には
想像を越えるすばらしい現実が現れる!」
と設定させていただきます。
たびたび登場する
さとうみつろうさんの本
「神様とのおしゃべり」
この本はベッドのそばにあり
時々手にとって読み返すのですが
今朝お布団の中で
この本の中にある
「右手と左手のじゃんけん」を思い出していました。
「私の右手とわたしの左手でじゃんけんをしてみよう」という実験なのですが
想像通り、つまらない訳ですよ(笑
私の右手と左手でじゃんけんしても楽しめないのは
「どちらも私」だからなのですよね。
これをですね
「右手が私」「左手は○○(嫌いな人)」と思ってじゃけんすると
ちょっと違うんですよ。
勝つとなんか嬉しい。(爆)
意識の違いってすごいなって思ったんですね。
本来はどちらも私(の一部)なのに
どちらかに意識が偏ると(思い入れを強くすると)
勝つだの負けるだの
嬉しいだの悔しいだの
なんかそんな感情が生まれる。
そんな感情の変化に自分で
あきれながら
(だって本当はどっちも自分)
ああーーー!
だから
憎んでも良いんだ。
嫌っても良いんだ。
だって、そうやって遊んでいるだけなんだから。
ずっとどこかで
「憎んではいけない」
「嫌ってはいけない」
という価値観を捨てられずにいました。
でも、数ヶ月前から
「憎んでも良いんだよ」
「嫌っても良いんだよ」
っていう言葉が頻繁に意識に留まるようになり
気になってたんですよね。
なので。
安心して憎みましょう。
安心して嫌いましょう。
だって、私達はそうやって遊んでいるだけなのですから。
本日もありがとうございました!
本日も
「このブログに遊びに来てくれた人には
想像を越えるすばらしい現実が現れる!」
と設定させていただきます。
たびたび登場する
さとうみつろうさんの本
「神様とのおしゃべり」
- 神さまとのおしゃべり -あなたの常識は、誰かの非常識-/さとう みつろう
- ¥1,500
- Amazon.co.jp
この本はベッドのそばにあり
時々手にとって読み返すのですが
今朝お布団の中で
この本の中にある
「右手と左手のじゃんけん」を思い出していました。
「私の右手とわたしの左手でじゃんけんをしてみよう」という実験なのですが
想像通り、つまらない訳ですよ(笑
私の右手と左手でじゃんけんしても楽しめないのは
「どちらも私」だからなのですよね。
これをですね
「右手が私」「左手は○○(嫌いな人)」と思ってじゃけんすると
ちょっと違うんですよ。
勝つとなんか嬉しい。(爆)
意識の違いってすごいなって思ったんですね。
本来はどちらも私(の一部)なのに
どちらかに意識が偏ると(思い入れを強くすると)
勝つだの負けるだの
嬉しいだの悔しいだの
なんかそんな感情が生まれる。
そんな感情の変化に自分で
あきれながら
(だって本当はどっちも自分)
ああーーー!
だから
憎んでも良いんだ。
嫌っても良いんだ。
だって、そうやって遊んでいるだけなんだから。
ずっとどこかで
「憎んではいけない」
「嫌ってはいけない」
という価値観を捨てられずにいました。
でも、数ヶ月前から
「憎んでも良いんだよ」
「嫌っても良いんだよ」
っていう言葉が頻繁に意識に留まるようになり
気になってたんですよね。
なので。
安心して憎みましょう。
安心して嫌いましょう。
だって、私達はそうやって遊んでいるだけなのですから。
本日もありがとうございました!