おはようございます。
礒嶌です。
天賦の才セッションは人生のV字回復のための
セッションでもあります。
私たちはごく普通の人なので悩みも迷いも
あって当然です。
でも、
やっぱりあまり悩みたくないし、迷いたくないですね。
そして、悩みや困りごとの多くは
「なになにが足りない。」
「十分でない。」
「これじゃいやだ、満足しない。」
ということではないでしょうか?
あの上司はパワハラだ。
↓
威張って無理ばかり言う。
↓
謙虚さが足りない
彼(女)が私の気持ちを分かってくれない
↓
もっと理解してくれないと寂しいじゃない
↓
もっと愛して、これじゃ足りない
ご近所さんにハワイのお土産を渡したのに
自分が温泉に行ってもなにもお土産くれない
↓
ケチよね
↓
上げたんだからその分返して欲しい
こういう気持ちになったりすると思います。
とくに彼(女)との恋愛関係の時などは
大いに発生しやすいですね。
ご夫婦でも一緒ですね。
求めることに余念がないのです。
水を欲しがる喉が渇いた人と同じ状態です。
乾いていると思うから水をいくら上げても
もっともっとと要求するんです。
こういうのを仏教では渇愛というそうです。
愛に渇く・・・・なるほどね。
自分があげた愛にたいして利息を付けて返して
くれないとむくれるのです。
本来愛に元本保証はないはずなんですが・・・
普通の人は元利金保障を求めてしまうんですね。
でも、現実はそうはいかないです。
自分が相手にダイヤを上げてもそれ相当の
お礼が帰ってくるかどうかわかりません。
おそらく自分が期待していたものとは違った
モノが帰ってくるでしょう。
(返ってくればまだいいほうですが)
するとこんなんじゃイヤ!と不満を感じるようになるんですね。
愛に渇いた状態です。
相談されたから、相手を思ってしたアドバイスも
そんな言葉なんか聞きたくない!と言われたご経験を
お持ちの人もいらっしゃると思います。
どうしたら良い?と訊かれたから最良と思われる返事を
したら、そんなキツイこと言わないでよ!なんていうのは
一番普遍的な場面でしょう。
全て自分にとって満足するものを求めているのですから
満足しなかったら不平不満になって怒るのです。
だったら初めからしなければいいじゃないと思うんですね。
こういう渇愛を「さもしい」と言って昔の日本人は嫌いました。
渇愛は煩悩ですから底がありません。
ところが、親やボランティアをする人たちは見返りを求めて
いません。
ひたすら、相手の事だけを考えて行動しています。
親はどんなに子供のことを愛していることでしょう!
愛しているからこそ、イヤなことでも言うのです。
厳しいことも要求します。
全ては子供の成長のためです。
こういう愛を慈悲とか無償の愛というのです。
目には見えないけれど、私たちは地球という
星の上で生かされています。
宇宙というエネルギーに育まれています。
命あるものすべてが愛に包まれて見守られているのです。
大きな愛は見返りを求めていませんよね。
渇愛で欲しい、欲しいと言わなくても
ちゃんと貰っているんです。
だとしたら、欲しい欲しいと言うよりは
自分もあげるだけで十分だと思いませんか?
相手が喜ぶ、楽しんでくれる、ニコニコしていられる
それが嬉しいし、喜びとなれば満足のはずです。
どこで自分の渇愛を慈悲に変換できるかは
ひとそれぞれ違うと思いますが、
その気持ちがあれば必ずターニングポイントが
来るのです。
そうは言ってもすごく困難なことだとは思います。
が、
天賦の才五常塾で自分と対話できるようになると
どんどん慈悲ワールドが大きくなってきます。
受講生さんたちの素晴らしい言動にいつも感動しますね。
皆さん、ありがとうございます。