土俵でガッツポーズはするな! | 過去と未来を読み解いて最高の人生を生きる

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朝青龍がまたガッツポーズをしました。

そして反省しています、ごめんなさいと謝りました。


観戦された人の中にはガッツポーズが何故だめなの?と

思われたようです。


ガッツポーズは西洋の文化です。

勝敗を楽しむスポーツならガッツポーズも良いですが

相撲をはじめ古来日の本の国には勝敗を楽しむ競技は

ありません。


相撲は豊作を祈る神事からきたと聞いています。古事記にも

神様が相撲をとったとありますから相当古くからあるものだと

思います。


平安時代に節会で行われるようになり室町あたりから娯楽として

民衆の中に広まっていったようです。


こういう面もふまえての話ですが


神事では豊作を祈るために行うものが多く、その根底には

両者の豊作を願っています。

どちらが勝っても負けた相手が貧困になることや

飢餓に襲われることは願ってはいません。


よりどちらかが豊かに実るかの願いが形になったそうです。


私は剣道をしていますから、大先生から勝ち負けは

即ち死ですよと教えていただいています。


そして、剣道では勝者がコートの中でガッツポーズをしたら

即座に取り消しになります。


日本人の美意識の中にはこういう文化背景があります。


勝った喜びもつかの間、明日は我が身に死が来るかもしれません。

負けた相手に自分の姿を重ね合わせるのです。


今は勝っても負けた相手が自分だと思えばその場で、

露骨に嬉しがることははばかられます。


こういう美学が根底にあるのでガッツポーズを土俵の上で、

相手がいる前でするなというのが倫理として出来上がっているのです。


負けた相手を誉める、称える。


この尊敬の念が失われると品性のない相撲に成り下がります。

朝青龍関にはそこの理解が出来ていないのでしょう。


外国人でも充分日本のこの倫理と美学を理解している人が

たくさんいますので一概に外国人だから出来ないのだ

ということも言えません。


もう少し、突っ込んで私見を言わせてもらえば

日本の教育が母国の文化をしっかり教えていないと

いうこともあると思います。


日本人の日本人たる伝統文化と日本人を作ってきた美学を

おろそかにしてきたツケもあるのではないでしょうか?


お茶をなさる人、華道をされる人も同じ思いをお持ちだと拝察します。



戦後のあれこれがあって教育が米国にとって有利なように変えられたと

思いますが、もう日本人としてのアイデンティテーを取り戻さないと

土俵の上のガッツポーズを良しとする風潮も出てくると思います。


「和を持って尊しとなす」が日本人の目指すところでしょう。

そうすると


「相手を慮り、敗者の面前での勝鬨は控えよ」


となるのは倫理として成り立つと思います。




勿論、相手から見えないところでは充分に勝利を噛み締めて

いただきたいと思います。