日々是好日という禅語があります。
お耳にした人も多いと思います。
どういう意味かは皆さんそれぞれだと思いますが
大方は「毎日が良い日」と解釈していると思います。
では、何がどう良い日なの?
若い人は「普通に良い日。」
少し人生を重ねた人は「何事もない平穏な日」
と答える人が多いです。
確かにそうです。何事もなく普通に一日が送れそれが
毎日続く。これ以上の安定と平安はないでしょう。
でも私はもう少し違う解釈をしています。
毎日が好い日。
都合の良いことばかりが毎日あるわけではないのが人生です。肩がぶつかったと因縁をつけられたり、集金に行っても払ってもらえなかったり、一生懸命作成した企画が上司の成績になってしまったり・・等々
嫌なこと、好ましくないことは必ず日常にあります。
また、病気でベッドの上で苦しんでいる人もいるでしょう、
いきなりの解雇で途方にくれている人もあるでしょう。
こういうことは心痛む事柄でご本人には都合の悪い事です。
でも、少し視点を変えてみればこういう出来事は自分に
とって貴重な体験になり、自己の成長を促す肥やしに
なるのではないでしょうか?
トラブルの真っ只中にいればそれを受け入れることは
なかなか難しいし、受け入れがたいことだと思います。
(私もそうでした。とうてい受け入れることなど不可能と
思うことがありました。)
それでも、ある日私はそれは自分の心の働きによって少しは許容がし易くなるのではないかと思いました。
あるがままに受け止める、受け入れる。
大自然の流れの中で、また悠久の時空の中での
ひとこまとして嬉しいことも悲しいことも楽しいことも
悔しいこともそのままで受け入れる。
翻って大自然は人間がしていることも含めてすべてを
そのままに受け止めているとこをあわせて考えると
全ての出来事はそれ自体の真理なんだろうと思ったのです。
ですから、嬉しい、楽しいは時は勿論、悲しみの中でも
、落胆の中でも、失意の中でも、そのときを自己を偽らずに
精一杯生きる、自分の心に嘘をつかず、忠実に生きるという
ことが日々是好日なのではないかと思いました。
良い事も悪いことも全ては自分の心のあり方を問われて
いる。そんなことを思いながら今日この日を生きよう。
それが「日々是好日」なんだと。