に続いて、この投稿も
いろいろと抜けてましたっ😵
ということで、編集済みです)
その連載の第1回目は
【自分が自分である】ということ。
( ん?!… 聞いたような。。。)
ひと口にいうなら
これが分かっていると、
どこにいても 居場所は見つけられるというもの!
なぜなら
自分の (果たすべき)役割 が分かるから。
つまり、
無駄な努力、報われない努力、
自分ではない 他のもの
(自分も、そして誰からも喜ばれないもの)
に、なる努力をしなくて済む ので
自ずと
幸せを感じる機会は多くなる。
そもそも
「幸せ」「幸福」は、感じるもの。
言うなれば
瞬間、あるいは束の間の
“感情である” ことを考えると
そもそも、
「ずーーーっと 幸せ」だとか、
幸福であるからといっても
嫌なこと・心配ごと・苦痛なこと・面倒くさいこと・我慢すること・やりたくないこと…
が、無くなるわけではない。
昨日の幸せ、
さっきまでの幸せが苦痛に変わる
という幸せは、
動物的欲求が満たされた場合のような
比較的 簡単な類いの “幸せ” かもしれません。
(簡単だけど、まずはここ!! みたいな〜♪)
でも、そこが満たされていてもなんとなく
“幸せでない自分”
に、悩む人も多いでしょう。
また、平均よりは満たされていて
やり甲斐のある役割も担っているし
ある程度のお金や 自由な時間もあって
幸せだと思って生きている
けれど、
何かが 足りない ように感じる人も
いらっしゃるでしょう。
世の中の大抵の人は、
自分を知ることが怖いし、
石井ゆかりさんがおっしゃるように
他人と違う自分を
認めることに 恐怖を感じるものです。
(本当は、
個性・特徴・特性・武器が分かるだけなのに…)
これは、人という集団
あるいは、生物全体からの「分断」の恐怖
かもしれませんし、
先の社会情勢…
日本などは、
村社会の名残りや 戦時下での “ 見世しめ” の記憶などなどがDNAに焼きついている
影響かもしれませんし、
もちろん、
生まれてから実際に体験した社会での経験や
受けてきた教育の賜物?
であることも否定できません。
(前回の投稿を繰り返してしまいました(笑))
幸せとは、
コップの中に入っている水みたいなもので
・コップがどれだけの量の水で満たされているか
・水は どんな色か
・澄んだ水か
によって、
幸せ と感じるか否かが変わる
みたいなものだというのが
私の今の結論です。
(元は、メンターのポルシェさん伝授ですが
ちょっとアレンジ?してみました!)
だから
自分の満たし方、
コップの水をいっぱいにする術を心得ている人は
幸せを感じやすい です。
でも、残念なことに
大抵の人のコップには
ヒビが入っています。
完全に割れ、穴が空いてしまって
水がほとんど貯められない場合もあります。
コップの下の方にヒビが入っていて
常に新しい水を注がないと
すぐに空になってしまう
場合もあります。
逆に
コップの上の方にちょっとだけヒビが入っていて
決して満杯にはならないけど
日常的には困らない
という場合もあります。
また、コップの水を満杯にできる人は
自分のコップから溢れた水を
誰かに分けてあげることが自然にできます。
決して、自分が必要な分を得ないで
いっとき 他の人に自分の水をあげたとしても
自分が枯渇してしまい
他人に迷惑をかける結果になることとは
大きく違っています。
「何が幸せか?」は、
人それぞれで違うものです。
そこは誰しもがもう
充分に気付いてきていらっしゃるけれど
この “コップの穴” の
塞ぎ方、埋め方については
教えてくださる方は少ないことでしょう。
(近くにメンターさんがいた!方は
とてもラッキーです)
そして今後、石井ゆかりさんが
ご自身の『幸福』について
どのように展開されていくか が
とても楽しみです!
幸せと一括りにしてますが
幸せにも 種類や段階があるものなのか。
究極の幸せ の場合は
何度 生まれ変わっても同じで
永久に変わらないものなのか?
それとも
成長、成熟の中で
変わる紫陽花の色のように
まだまだ私の結論も つきません(笑)

