「新連載」とありましたが、日付けを見ると
3月25日でした。
(ファンの割には、気付くの遅過ぎっ🤣)
そのプロローグを読んで
「おぉーー!!さすが ゆかりさん。
書かれる文章も
内容を掘り下げられるのも
とってもお上手だわ〜😍」
と、読んでいて嬉しくなりました ♪
( なんで上から目線なの〜ってね(笑))
「自分の幸福と人の幸福は違う」
とわかっていても、
「自分の幸福」にたどり着くのは大変です。
というのも
「自分の幸福ではないもの」に
ぶつかっては試し、
試しては振り捨てていく、
という作業を重ねていかなければ、
「自分の幸福」に
たどり着かないから…
(でも、)
世の中には
「人と違っていること」を
怖れる人がたくさんいます。
「幸福は十人十色、
10人いれば10種類の幸福がある」
と考えると、
これは結構辛いこと…
そう!!!!!!
幸せを求めている はずなのに
幸せが目前にあると
“罪悪感” を感じる人も多いでしょうし、
すぐ隣で、また世界のどこかで
今、まさに苦しんでいる人がいるのに
“私だけ 幸せになるのは悪いから”
と、幸せを感じることを
拒否することもあるでしょう。
そうして、誰かの機嫌を伺ったり
自分を誤魔化すのが
知らず知らずのうちに 癖になり
そのうち いつのまにか
『自分の幸福が何か?』
が、本当に分からなくなってしまう…
なんて人も多いと思います。
(かつての私がそうでした。。。😭)
その連載の第1回目は
【自分が自分である】ということ。
ひと口にいうなら
これが分かっていると、
(最初の投稿時には
赤字の部分が抜け落ちてました💦)
どこにいても 居場所は見つけられるというもの!
なぜなら
自分の (果たすべき)役割 が分かるから。
つまり、
無駄な努力、報われない努力、
自分ではない 他のもの
(自分も、そして誰からも喜ばれないもの)
に、なる努力をしなくて済む ので
自ずと
幸せを感じる機会は多くなる。
そもそも
「幸せ」「幸福」は、感じるもの。
言うなれば
瞬間、あるいは 束の間の
“感情である” ことを考えると
そもそも、
「ずーーーっと 幸せ」だとか、
幸福であるからといっても
嫌なこと・心配ごと・苦痛なこと・面倒くさいこと・我慢すること・やりたくないこと…
が、無くなるわけではない。
昨日の幸せ、さっきまでの幸せが苦痛に変わる
という幸せは、
動物的欲求が満たされた場合の
比較的簡単な類いの “幸せ” かもしれません。
(簡単だけど、まずはここ!! みたいな〜♪)
でも、そこが満たされていてもなんとなく
“幸せでない自分”
に、悩む人も多いでしょう。
また、平均よりは満たされていて
やり甲斐のある役割も担っているし
ある程度のお金や 自由な時間もあって
幸せだと思って生きている
けれど、
何かが 足りない ように感じる人も
いらっしゃるでしょう。
大抵の人は、
自分を知ることが怖いし、
石井ゆかりさんがおっしゃるように
他人と違う自分を
認めることに 恐怖を感じるものです。
(本当は、
個性・特徴・特性・武器が分かるだけなのに…)
これは、人という集団
あるいは、生物全体からの「分断」の恐怖
かもしれませんし、
先の社会情勢
日本などは、
村社会の名残りや 戦時下での “ 見世しめ” の記憶などなどがDNAに焼きついている
影響かもしれませんし、
もちろん、
生まれてから実際に体験した社会での経験や
受けてきた教育の賜物? であることも否定できません。
話しが どんどん長くなり
この後も続くのですが
文字制限でアップできませんでしたので
次回に 続く。。。 (苦笑)
