☆輝きキャリア・シュフになりましょう☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ -47ページ目

☆輝きキャリア・シュフになりましょう☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

「私なんて特に才能も特技もない」
それでも「変われるキッカケがほしい!」と思っていませんか?

育児や家事、家族との時間を大切にしながら、自分らしさを表現できる仕事をしていきたい方へ☆

輝きキャリア・シュフになるためのエッセンスをお届けします♡

こんにちは。なぉんです。

11月も半ば過ぎ・・・

東京も随分寒くなってきました

いかがお過ごしですか







今日は『無償の愛』について

お話しようと思います







『無償の愛』と聞いて

あなたは何を想いますか







見返りを求めない 完璧な愛のこと

マザーテレサとか観音様とか

特別な 心の広い人だけが

持っている神聖なもの

私には無償の愛だなんてムリだわ・・・

なんて思ってませんか







無償の愛とは・・・

私たちの日常のことです。

ごくごく当たり前にありふれている

何てことない日常のすべてが

無償の愛で成り立っています







特別で神聖で美しいもの

と思っていた人ほど

そう聞いたら「アレッ」と

ちょっとガッカリしてしまいませんか







子育てをしているとよく思います。

そして、色んな場面を目にします。

個人差はあるものの

2歳児くらいまでの子供は

おサルさんとほぼ一緒

感情的で 本能的だし

自己中だし 手はかかる

話通じないし 言うこと聞かない

世話を焼かされるし

何度も同じことするし

人前だろうが どこだろうが

そんなのお構いなし・・・







親であるということ

もうそれだけで無償の愛を

与え続けているのです

子供にどんなに手を焼かされても

あなたはブリブリ文句言いながらでも

お世話し続けるでしょう

子供が思春期になり

「クソババァ~と言われても

毎日洗濯し、ご飯作り続けるでしょう

子供がどんなにわがまましたとして

一旦は怒ったとしても

やっぱり自分の子は一番可愛い

と思って凝りもせず

毎日、愛し続けるでしょう

それが親の無償の愛です








親になっていないという方も

子育て以外のことで

無償の愛を与えているはずです。

相手のためになりたい

何かの役に立ちたい


そういう思いの集合体で

家族が 社会が 世界が成り立って

いるからです







自分ではあまりにも当たり前すぎて

気づくことすら出来ないこと・・・

空気みたいなもの・・・

無償の愛とはそういうものなのです。







育児は大変です。

子供にあまり手がかからないという

親御さんでも、子供の将来のために

一生懸命働いていたり・・・

自分一人ならどうにでもなる

と思えることも

子供がいると責任感の重圧が

一気にのしかかってきます。






だから不安になったり 迷ったり

他の人が上手に子供を

育てているように思えてしまう・・・

正解がないだけに

自分の育児に自信が持てないのは

当たり前のことなのです。







色んな方を見て思うことは

どの親御さんも

愛情表現は十人十色で違いますが

どの方もわが子を愛している

かけがえのない存在だと思っている

それがひしひしと伝わってきます。

日常の様々な場面で

親が子に与える無償の愛を

見て感じることができます。






そして、私自身もそう・・・

わが子を自分の命よりも

大切だと思う。

何が何でも絶対にこの子を幸せにしたい

と思います。







私の両親も私のことを

こんな風に思って

大切に育ててくれていたんだなぁ・・・

と思うと・・・

それは違う気がする・・・








周りの人たちを見て

どの親御さんも子を思い

大切に一生懸命に

わが子を育てている

もの凄い愛情を感じる

そして、私自身もそう・・・

なのに、私の親は違った






ぬぬぬ・・・

何てことでしょう

何ともおかしな話です。







これは一体どういうことなのでしょう






先ほどの2歳児くらいまでは

おサルさんとほぼ同じだという話・・・

親はどんなに疲れていても 眠くても

ヘトヘトでも
 
子供が抱っこを泣いてせがめば

 
抱っこするし

おっぱい飲みたければ

おっぱいをあげます。

子は、相手(親)の都合も考えず

お世話してもらうのが「当たり前」

わがままするのが「当たり前」

親は自分の言うことは

何でも聞いてくれるのが「当たり前」

と思っています。






あまりにも「当たり前」すぎて

そこには感謝すらありません。

感謝と言ったら時折見せてくれる

無邪気な天使の笑顔くらいでしょうか

それだけで子のために

必死で頑張れるのが親なのです。








私が自分の親は「違った

と思っているのは

この2歳児の脳が大人になった

今でも残っている証拠。

生まれた時から親の愛が

あまりにも当たり前にありすぎて

当たり前のことには気づかず

たまにしかなかった

「ヒドイと思ったことを

しつこく根に持ち続けていた

というだけのことだったのです。







親がした「ヒドイ」ことは

からくりがあります。

2歳児並みの脳で考えた私が

「親はヒドイと言っているのです。

大きくなってからも思っているので

実際には2歳児並みの脳とはとても

思えないというところが判断を誤る

からくりのミソです

正確には、親はヒドくありません。

視野の狭さから見たら


無償の愛を提供し続けている

親に対して

「自分の思い通りにさせてくれなかった」

「自分の願いを聞いてもらえなかった」

「それで逆にめっちゃ叱られた」

ということで親を逆恨みしているのです。









あなたの周りには

本当にヒドイ親なんていますか

現実には、ニュースとか

誰から聞いた話とか

限られた世界での


話なだけかもしれません。

実はそれすらも、あなたの頭の中で

意図的に作られた空想に過ぎない

と言われたらどう思いますか






私の親は、私に十分な

愛を与えてくれなかった

子供を平気でけなしたり

ヒドイことを言う大人げない親だったと

思っていました。






どうやら

周りの人たちと自分を見る時は

大人の広い視野で見ることが

できるのに対し

自分の両親を見る時は

子供の頃のままの狭い視野から見て

親を判断している自分が

しつこく残っている

ということに気づかされます。







なんせ2歳児はおサルさんとほぼ一緒

ですから、自分で自分のことを

いくら素直でいい子だった

と思っていたとしても

親にしたら大変だったと思います。

10コのうち、8コはわがまま聞いてくれても

1-2コは聞けない時もあったでしょう。

しかし、日頃からわがままを聞いて

もらっている子供ほど

聞いてもらえなかった1-2コに

意識がフォーカスして

恨みがましく思っていたりします。

聞いてもらったわがままは

当たり前なので

そんなことはスッカリ

忘れてしまっています。






自分の親はヒドかった

というのは、

どうやら子供の頃に

狭い視野から捉えた勝手な親像に

過ぎなかったようです。






子供の狭い視野での愛の定義は

いつでも 何でも言うことを聞いてくれる

つまりは、わがままを聞いてくれる

いつでも大きな愛で包み込んでくれる

優しい親が理想

これが子供の愛の定義

一方、

大人の広い視野での愛の定義は

子供の将来のことも考え

あえて厳しくすることもある。

甘くすることがその子のためには

ならないことを知っている・・・

それが親の愛の定義です。






この両者の愛の定義の違いによって

双方に誤解が生じて

長年の確執・恨みになっていることも

多々あります。






大人の視点で捉えると

自分の両親も素晴らしい存在であり

周りの人たちも素晴らしい存在であり

自分も素晴らしい存在である

無償の愛を余すところなく

感じ取ることができます。






あなたも未だに2歳児並みの

子供のままの
狭い視点で

ダダこねていることありませんか







あまりにも当たり前に

周りにあふれすぎて


感謝すら持つことを忘れてしまいそうな

無償の愛







子に対して

主人に対して

両親に対して

友人に対して

周りの人たちに対して

社会に対して

世の中に対して

日常にありふれている無償の愛に

目を向けて

自分も当たり前にそれを与えることができる

素敵な大人になっていきたいですね

木 



最後までお読みいただき

ありがとうございました

キラキラの一日をお過ごしください