働くことは

傍(はた)を楽(らく)にすること
齋藤一人さんの言葉です

私たちが生きているこの社会は
みんなのサポートの仕合いで

誰かができないことを
誰かがやってくれて成り立っている

ひとりひとりがその一端

そうやって
現象世界が展開していくのを思うと

自然界が繋がり合い
それぞれの役割をもっているのと
同じなんだなと思います


そもそもの「はたらく」の語源は
とまっていたものが急に動くことを表して
それが、身体を動かす意味となり
人が動くで「働」という字が
作られたのだそうです


ヨガの哲学では
現象世界のはじまりは
プラクリティ(物質原理)が展開しはじめたこと

まさに動きが生まれたことで
世界が現れ展開していく

実は、思考や感情すらも
この展開(動き)の中で生まれた
プラクリティのひとつの現れ

大いなる自然(大宇宙)も
人ひとりひとり(小宇宙)も同じ

動くこと
働くことは尊い

家事をすることも
子どもたちが遊んでいるのも
ヨガを教えるのも

みんな、はたらくことをしている

そして、その現象世界の展開は
本当の私といわれる
プルシャ(自己原理)が観賞し、経験するため

プルシャは、身体でも思考や感情でもない
私の原理で、永遠不変な存在

みられるものがなければ
みるものは存在できないから

まさに、プラクリティはプルシャのために
はたらいているんだなと思う

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『ヨーガ・スートラ』


2-18

観られるもの(プラクリティ)は

自然の性質である3つの要素

(サットヴァ・ラジャス・タマス)により成り立ち

変わり続け、感覚を通して体験できるものです

それは、経験と悟りのためにあります


2-21

変化するものは

それを観る存在(プルシャ)のためにあります





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ヨガ哲学とアニミズムを学ぶ

\\水族館に行ってきました//


海の生き物たちの世界に触れ
我が家のチビ子たちも興味津々

海月さんや深海の生物さんなど
不思議な形態や生態を知るほどに
生命の多様性を感じさせてくれます


私たちの意識の源
【プルシャ】は

現象世界
【プラクリティ】の変化を体験するために

何度も何度も生まれ変わり
様々な体験をしています
(これが輪廻転生)

私たちの意識が
世界を認識するから
世界は存在し展開していく

そう思うと
日々おこる様々な出来事や変化が
愛おしくなりませんか

自分自身に価値を見出せませんか

人間の意識は
すぐエゴが強くなりがちですが
実はエゴや感情という心の働きも
変化する世界(プラクリティ)側のもの

移ろい変化する存在です
(仏教でいえば諸行無常ですね!)

その変化を映す本体こそが
自分の本質(プルシャ)

純粋に世界を映し
認識する存在です

混じり合ってしまうことが多いけど
この識別ができるようになると
人間レベルの悩みがなくなります

これが
ヨガ哲学、ヨガの智慧のキモ部分


海月の気持ちになると
純粋に世界を映すということが
なんだかわかった気になれますね☆











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ヨガ哲学とアニミズムを学ぶ

『ヨーガ・スートラ』は

ラージャヨガ(瞑想のヨガ)と呼ばれる流派

ヨガ学派の経典です


4〜5世紀ごろ

パタンジャリが編纂したとされ

195文の短い格言で綴られています


ヨガ哲学を学ぼうとすると必ず出てくる


◆ヨガの定義

「ヨガとは心のはたらき(波)を静めること」も


◆ヨガの八支則

①ヤマ(やってはいけないこと)

②二ヤマ(推奨されること)

③アーサナ(坐法、ポーズ、身体の調整)

④プラーナヤーマ(呼吸、エネルギーの調整)

⑤プラティヤーハーラ(感覚のコントロール)

⑥ダーラナ(集中)

⑦ディヤーナ(瞑想)

⑧サマーディ(悟り、ワンネス)


『ヨーガ・スートラ』に書かれています



現在、ヨガといえばアーサナ(ポーズ)ですが

スートラの195文のうちたった3文のみ

(これはこれで奥深いのでまた別の機会に)



スートラに書かれているのは

悟りのための方法論

瞑想の段階や

心の波を静める方法

などなど



ヨーガ・スートラは

日本語訳の本もたくさんありますが

全然違う解釈もあります


なぜなら、短い格言だから

解釈が違ってしまうこともあるのですね

短いからこそ逆に難解で

本を読んでも眠っちゃうという方も多いのです


スクールのヨガ哲学コースでは

私が何冊ものテキストを参考に

スピリチュアルな知識や経験も加味した上で

スートラ全文を取り上げて解説しています



瞑想を通じて

このせかいの本質を識り

悟りへの道を進む



ヨガでは

1%の知識と99%の実践が大切といわれていますが

この1%の知識を知らずして行う実践は

ヨガの目的のための実践ではないのです


ヨガ・スートラに書かれていることを知らずに

普段から瞑想を習慣にしている方は

何のために瞑想をするのか

ぜひ知識を知っていただきたいなと思います






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ヨガ哲学とアニミズムを学ぶ

AYJヨガスクール


8年続けた月に2回の「お寺で四季ヨガ」

10月から新しい先生にバトンタッチします

昨日は、最後の回でした!

たくさんの方に集まっていただいて
みんなからお花や色紙やプレゼントをいただき
いろんなことを思い出しながら
いつもよりちょっと話しも長くなりながら

観音様の空間でのヨガ
一緒に楽しませていただきました(^^)



お寺ヨガをはじめたきっかけは
坐禅できるお寺を探して
WEB検索をしたこと

住宅地の高台にある
厚木・曹洞宗長谷寺のホームページに
大人の寺子屋 蓬莱山倶楽部 講師募集
の文章を見つけました

「お寺でヨガをやりたいです」
とご連絡したのがきっかけ

何事も、やりたいと思ったことはまず行動ですね

\\石を投げねば波は立たない//

ヨガの最終目標は
瞑想により心の波を静め
本来の自己(プルシャ)にとどまること
(すなわち解脱!)ですが

その過程として
あらわれて変化し続ける
物質世界(プラクリティ)を
体験しに来ているのだから

自分が進みたいと望む道を
ただひたすらに歩いていくこともまた
最終目標に近づくための手段です

自分が投げた石の波

他者の投げた石の波

たくさんの想いと行動が生み出す
世界の様々な変化(プラクリティズム〜!)

ご縁により生じる喜びや哀しみ
化学反応のように
感情という心の波もまた
世界にあらわれる

お釈迦様は
生まれることが苦しみのはじまりと
おっしゃりましたが

それは真理の伝え方のひとつ
9を逆に見れば6であるように

諸行無常の物質世界の体験や
それを通した様々な感情を経験することを

私たちは楽しみにきているのだというのも
スピリチュアルな見解のひとつ

ヨガや瞑想に情熱を燃やし
完全なる解脱を求める生き方も

心の清澄さを求めつつ
世界の変化の波乗りを楽しむ
(たまに溺れたりもする)生き方も

どちらも最終目標の
真理の光に向かう道だと思います



お寺で四季ヨガ
8年間の開催中に参加してくださったご縁ある皆さま

ありがとうございました!!

Rina


(お寺ヨガは担当が変わり続いております)
↓↓↓





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ヨガ哲学とアニミズムを学ぶ




カルマ(業)


良いことをしたから良いことが返ってくる
悪いことをしたから悪いことが返ってくる
だから、良いことをしよう!

というイメージがあると思いますが

カルマという言葉は
kri(クリ)「する」という
サンスクリット語からきており
意味は、働きや行為
身体だけでなく
心の働き(思うこと、考えること)も含めて
私たちの行う一切合切のことが
カルマとなります


さまざまな行為は感情を伴い
印象となり
魂の表面にシールのように貼られていき
大きなものは記憶として
私たちの性格を形成していきます

たくさんの経験を通して
カルマを溜め込み
性格(環境への対応の仕方)が形成されていくのです

我が家の娘ふたり
同じ環境で育てているのに
同じことがおきても反応がまったく違います

性格
即ちそれぞれの貯めてきた
カルマシールが違うのでしょうね

(左がビビリ慎重カルマの長女、当時4歳
真ん中がイケイケカルマの次女、当時2歳)


そして、私たちは
溜め込んでしまった
カルマシールを剥がすために必要な
さまざまな出来事を引き寄せ
体験していきます

例えば、純朴な魂さんが
純朴すぎるゆえに
騙されて苦しい思いをしたとします

純朴であると苦しむという印象
カルマシールが貼られて
疑い深く慎重であるという性格が作られます

今度は、慎重であるがゆえに
自分がやりたいことができない人生を歩み
晩年後悔するかもしれません

慎重であると悔しい思いをするという印象を残し
今度は勇気を欲します

次の人生の岐路で試されたとき
勇気をもって行動すると
慎重シールは燃えてなくなりますが
出すぎた杭は叩かれ
酷い目にあうかもしれません

せっかくカルマが消えたのに
勇気を出すことはこわいことという
別のシールが貼られてしまいます

つまり、カルマとは
行為に付随した感情の残す印象であり
良い悪いという評価はなく
全ての人間に蓄えられているものです


カルマシールは
魂本来の輝きを覆い隠すため
無意識的にそのシールを剥がすための出来事を望みます

人生におこる様々なことは
カルマが引き寄せているのです

このカルマの連鎖がすべて消えて
永遠不変の存在(魂、プルシャ)に還ることが
ヨガ哲学の目標、解脱です

カルマや物質世界への執着があるうちは
輪廻転生を繰り返し
さまざまな体験をして
少しずつ心のコントロールを学んでいく

来世があると聞いて安心してるうちは
まだまだヒヨコ(私もです!)。

でも、そういう輪廻や因果の存在を信じることから
おきる出来事に対して抱く印象は変化してきます

前例を引き合いに出せば
慎重さも、勇気も、時に応じて必要なこと
今回の経験では
出る杭は叩かれて苦しい思いをしたが
慎重すぎて苦しかったこともあるのだから

両面からみることができれば
極端な振れ幅はなくなっていき
波は小さくなっていく

無心や無私
心象が凪いだ状態が
どんな出来事に対しても
カルマを貼られない境地です

カルマヨガとは
働きや行為全てに
利己的な思いを乗せずに
何か(賞賛とか金銭とか)を得ようと思わずに
ひたむきに生きることです

ラーマクリシュナの弟子にして
20世紀、世界にヨガを広めた第一人者といえる
ヴィヴェーカーナンダの
わかりやすく現代人に響く言葉を引用します


理想的な人は
最も深い沈黙と孤独のさなかに
最も強烈な活動を見いだし
最も強烈な活動のさなかに
砂漠の沈黙と孤独を見いだす人です

その人は、抑制の秘訣を学んだのです
彼は彼自身を支配したのです
彼は、往来頻繁な大都会の街中を歩きながら
しかもその心はまるで
もの音ひとつとどかぬ
洞窟の中にいるかのように静かです

そして彼は、常時最も活動的に働いています
それが、カルマ・ヨーガの理想です





理屈はわかっていても
なかなかそうはうまくいかないのが人間

人間だもの
年齢を重ねるほどに響く言葉ですねw

それでも
このカルマのメカニズムを知っていることは
天動説から地動説に変化するくらいの
大きな知識だと思います






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ヨガ哲学とアニミズムを学ぶ