(前回の続きです)
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ソチ五輪のフィギュアスケート

羽生選手のショートプログラム

夜中に興奮してみていました☆


さて、ここのところ

ヨガからヒプノに辿りついた理由を

回顧録という形で綴っています


最近の私しか知らない人は

だいぶスピリチュアルな人だと

思われてるかもしれませんが

一気に流れがやってきたのは

たった3年前なのです


体育会系→ソウル系(笑)

ちょうどこのブログをはじめた頃ですね

読み返すと我ながら懐かしく面白いです


潜在的にもっていたものなのですが

2010年末から2011年にかけて

GATEが開いた感じがハッキリとあります


もちろん、それまで積み上げたものが

なくなるのではなく

身体のことをしっかりふまえての魂の理解は

実はとっても大事だと思っています

私にはこの流れが必要だったのですね



2010年の暮れに

叔父の死

祖母の死

熊本(阿蘇)への旅と

大きなポイントがありました


叔父の納骨の日

日光の小さなお寺と墓地の雰囲気が

なぜか懐かしく

心の奥底にうったえかけてくるような感じで

とても印象的でした


凛として静かで深みのあるお寺の空気

きっと美しい星空がみえるであろう

山と空を臨む墓地


死を悼みながらも

うらやましいような気持ちになる

不思議な感覚でした


2010.12.15記事(詩)
『眠りの地に』

そして、年末に、阿蘇の温泉で
仲間のスピリチュアルな体験を聞いたときに
私たちが勝手に常識という枠をつくってるだけで
枠外のせかいは無限なのだと感じました
そのとき書いた詩が
いま読み返してもけっこう凄い

2010.12.28記事(詩)
『壁の外へ沈む』

そして、どこかで理解していたみえない世界を
完璧に実感したのが、祖母の四十九日法要

2011年のはじめでした
こたつで寝てしまっていた私の手の上に
亡き祖母の手が重なる感触

夢ではないリアルな体感として

手から想いが伝わってくるようで
涙がとまりませんでした

実は、お通夜の日にも
同じ部屋で不思議な光をみていて
あれは夢だったのかなと
半信半疑になっていたものが確信にかわりました

2011.1.9記事(詩)
『手』


また、2011年の夏に訪ねた屋久島では
すばらしい大自然に出逢えた反面
私の不注意から
ちょっとこわい存在(妖怪レベル)にも
遭遇してしまいました

この年は
本当に境界が曖昧になることが
多かったかもしれません

これらの経験から
今まで半信半疑だった
輪廻転生、魂存在、神や仏の存在
アカシックレコード、チャクラやオーラ
生命エネルギー(プラーナ)などについて
調べたり、本を読んだり
身近に感じるようになっていきます

元々、森羅万象、色即是空、梵我一如
自然信仰(アニミズム)、八百万の神といった
ナウシカ的・ヨガ的・日本的思想をもっていたので
魂や生命エネルギーのことを学ぶと
むしろこれらの考え方を
説明しやすくなることにも気付きました

さらに、宇宙論や物理学や心理学の最先端の現代科学
中でもホログラフィックユニヴァースモデルは
それらのみえない世界のことを
科学的にも換言することが
できるところまできています

むしろ世界中で
古代から伝えられてきた真理が
近代科学という小さな枠組みに
否定されていた狭さを知りました

調べ、学ぶところから
さらに、リーディングやヒーリングを
受けることにも積極的になります

もちろん、やみくもに受けるのではなく
信頼できる方の紹介だったり
自分の直感だったり
かなり厳選して受けていました

(どうやら私は、霊能力が高く
人間的にも素晴らしい方を
無意識に選択するのが得意なようです)

エネルギーや前世を読んでもらうと
本当にその通りだなと感じ
また自身の成長のために必要な課題を
理解できるのですね

というのも、魂は転生を繰り返しながら
より成長するために
今世では、やり残したことや後悔したことを
課題として設定してきているからです

むしろ、それらの課題が
クリアしやすい環境を選んで生まれてくる

逆を返せば、転生のたびに失敗して
同じような課題に何度も取り組んだりもしています

そして、ひとつクリアすればまた次の課題と
人生はロールプレイングゲームのようです

そして、魂は常に成長のために
頑張っているのに対し
肉体意識は死を恐れます

葛藤がおきる理由です

例えば
魂の希望は自由に生きることであるのに
家族の庇護から抜けて自立することに
迷ってしまうとか

そして、強い感情と体験は
セットになりエネルギーフィールド
(アカシックレコード)に記録されますから
大きすぎる感情体験はカルマ(業)となります。

憎しみの感情で誰かを傷つけたら
そのカルマを癒すために憎まれることを体験し
それを許すということでリセットです

できないとエンドレスにその輪をまわります

カルマは、悪いことをしたからバチが当たり
良いことをしたから救われるといったものではなく

エネルギーフィールドに刻まれた
偏りを修復するための反動なのですね

無心にしごとをすることで
カルマが消えると説くカルマヨガは
この理屈で考えるとわかります

ちょっと、難しい話しになりました

何はともあれ
スピリチュアル的
霊的(こう書くとこわいけど
生きてる人もみんな
霊的エネルギーフィールドがあります)
ソウル的領域に
足を突っ込んだ2011年

東北の震災の年でもありました

次は、私のリーディングしていただいた
前世やエネルギーの話しをしようかなと思っています

(続く…)
回顧録⑤




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