ジブリ映画、高畑勲監督の

『かぐや姫の物語』

大晦日に観てきました

また観にいこうと思っていますが

私なりの感想を書いてみたいと思います



内容も語りますから

気になる方は観てから読んでくださいね



ここから

ネタバレ注意!!




キャッチコピーとなっている

~姫の犯した罪と罰~


パンフレットで高畑監督が明らかにしていますが

監督自身の推測による解釈が

誰もが知っているかぐや姫のストーリーに加えて

この映画では前提にあります



それは、月の世界で

かぐや姫が地上に降りたことのある侍女の記憶を

呼び覚ましたことが罪であり

その罰として地上に降ろされるのですが

姫は話しに聞いた地上を

とても楽しみにして降りる

(しかも月の王はサポートいっぱいしちゃうw)

降りて生まれると
月の記憶はなくなり
人間として生まれ育つけれど
月の王との約束で
姫が死を望んだときに
全てを思い出し、迎えがくるというもの

ちなみに、この裏設定がわかっていなくても
十分、面白くわかりやすい映画ですよ
わたしも、パンフで読んだのは後ですし

映画本編で、まず印象的なのが
四季の花や自然の風景の描写

そこに生きる生命の力の躍動
そして何よりも愛おしく懐かしい
子供たちが歌う、劇中歌『わらべ唄』
♪鳥 虫 けもの 草 木 花♪

姫が幼少期を過ごす
自然とともに暮らす四季の描写が美しい
心の通いあった山の生活

転じて
きらびやかで、文化的な、都の生活

でも、人の心のエゴや醜さ
形式だけの関係性に
少しずつ姫は心を閉ざしてしまう
まるで現代社会ですね

桜のお花見のシーンは印象的でした
美しい桜に
姫が心を取り戻したかにみえたのに

心を閉ざし、帝の元にいくことを拒み
死を望んだことで、全てを思い出し
お迎えが来るという選択をしてしまったことに
後悔する姫

月の世界で憧れたのは
美しい自然の恵みと厳しさ
人の苦しみとそれを補うやさしさ(情)のなかに
【生きる】というよろこびがあること

「捨丸にいちゃんとなら
幸せに生きれたかもしれない」
という魂の交流シーンで語られる、姫の気づき

姫のその気づきが
地球と共に暮らした人々との
別離のラストシーンで
【生きる】ことを選んで生まれてきた
わたしたちの魂にうったえかけてくれる

生きなさい、と

比較的同時期のジブリ映画
宮崎駿監督の『風立ちぬ』と同じテーマが
同じ日本という舞台で
時代が違えど変わらぬことを教えてくれます

エンディング「いのちの記憶」の歌詞が
姫の切ない心を
劇中歌「わらべ唄」の歌詞が
地球の生命のバトンの営みを
深く深くあらわしていて
言葉が魂に染みていきます

でも、私がもうひとつ思うことがあります

姫は、たとえ都の生活が辛くても
心を閉ざしたままではいけなかった

閉ざさずに傷ついても
しっかりと見据えることができたなら
そこには新しい触れ合いや変化が必ずあったはず

捨丸にいちゃんとなら、ではなく
もしかしたら、帝であっても
受け入れ、心を開き
相手の変容を待ち
共に生きようとする努力はできたのではないかと

誰しもが、一度は死を考えることもある

月の人である姫は
その一度の過ちにより
戻されることになるけれど

人間の本質は
その辛苦や過ちや失敗を何度も何度も繰り返し
その先にある愛や歓びや自由を知り
学び成長していくこと

それが、生きるということ
姫はそれを地上で体験したかったはずなんだ

姫が同じことをもう一度できるなら
田舎暮らしを選ぶことも
都で心を開くこともできるとして
魂の学びは後者にあるのかもしれません

現代に生きる私たちも
それぞれの選択をしながら
生きていく、ということの奇跡を大切にして
一瞬一瞬にちゃんと向き合っていきたいと思う
たとえ、どんなに辛いときも



photo:01

↑こちらの月の写真は、神田サオリさんの絵です


photo:02



photo:03



生命
地球
四季
大いなるもの
生きること

私の伝えたいことが詰まった映画
さすがジブリ