スタジオ受付のお引越しや

パワーストーン制作などで

なかなかブログを書けずにいました


さて、年末です


今年1年も長かったと思いながら

師走の慌ただしさに

自然と一体であるという繋がりを感じることや

自然の全てに霊性や神性が宿っていることを

感じる時間が

少なくなってしまっていたなと自己回帰しています



自然との繋がりに真理をみる現代のアニミズム

(自然崇拝)は


私自身の「ほんとうの幸い」のひとつなので

そんな時間を増やしていきたいと思います



言の葉によりて

その幸いを感じさせてくれる

山尾三省さんの著書から詩と文章を紹介します



今、再読している

『観音経の森を歩く』から



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『観世音菩薩』 山尾三省



観世音菩薩

というのは


世界を流れている

深い慈愛心のことであり


わたくしの内にも流れている

ひとつの


深い慈愛心のことであるが

いつの頃からか

この世界には

そのようなものは実在しないと

わたしたちは考えるようになった

それがなくては

この世界も

わたくしも

一刻も成り立ちはしないのに


わたしたちは

それを架空のものと

考えるようになった


しかしながら


一人の人が

ぼくに喜びを与えてくれるならば


その人は

観世音菩薩なのであり


一本の樹が

ぼくに慰めを与えてくれるならば


その樹は

まごうかたなく観世音菩薩なのである


あなたが清らかな水を飲んで

おいしいと思うならば


その水が

観世音菩薩なのであり


観世音菩薩の像に接して

やすらかな気持ちになれば


その像もまた

むろん観世音菩薩である


わたしが人を責めることをしないならば
それが観世音菩薩であり

あなたがわたしを許してくださるならば

そこに聖観世音菩薩は

現前しておられる


観世音菩薩というのは

世界を流れている

深い慈悲心であり


あなたの内にも

わたしの内にも流れている


ひとつの

深い

慈悲心のことなのである



☆☆☆



観世音菩薩のみならず

あらゆる菩薩や如来たちは

ブッダがこの世に生まれ出る

はるか以前から存在していたのだし

現在も存在しているし

未来においても人類が存在する限りは

存在するはずのものである


なぜなら

すべての菩薩や如来たちというのは

私たち自身の内に宿されている

善き人間性の象徴であると同時に

私たちをここに生存させている絶対環境

海や山や川

空気や土や太陽を

象徴的に人格化したものに

ほかならないからである



山尾三省 著『観音経の森を歩く』(野草社)から抜粋


☆☆☆



人間に生まれた素晴らしさは

美しきもの善きものを

認識することができることだと思う



また、屋久島にいこう

$YOGAの詩(うた)


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