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以下の文章は、
まだ駆け出しだった私が2009年の8月に書いたものです。





鬱(うつ)本来の意味を知っておられるでしょうか??
鬱という言葉を辞書で調べてみると、
以下のように説明されています。


①心にわだかまりがあって、
気持ちの晴れ晴れしないこと。ゆううつ。
②草木の茂っているさま。


我々のウツは①の意味のユウウツな状態を表しますね。

しかし②の意味は意外ではないでしょうか。
草木が茂っている状態は、生命力に溢れたポジティブなものです。



鬱蒼(うっそう)と茂る



こんな言葉があるように、
本来の鬱は生命力に溢れたものなのです。
春になると草木が大きく成長して、
道路の安全な通行を妨げるくらいになりますよね。
正にそれが鬱蒼なのだと思います。

当然、毎年綺麗に除草されてしまうわけですが、
特別何もしないでも、翌年も必ず草木は成長します。
有り余った生命力は、少々のことではヘコタレないのです。



その生命力が、上手く生かせない状態になると、



抑鬱(よくうつ)



という言葉になります。

つまり、鬱という生命力が抑制されれてしまった状態です。
これが我々のような鬱なのではないでしょうか。



この絵は某SNSで知り合ったかたが描いたものです。

大木が。。。いや森全体がお日様に向かって、
今、正に成長しようとしているかのようです。
その圧倒的な生命力。
この絵を最初に拝見した時にそう思いました。


私が少年だった頃、森の奥深くで大木に出会った日を
思い出しました。
何百年と生きるその様に、
子供なりに[人間の小ささ]を思い知ったのです。

人間は言わば地球という、大きく偉大な生命に、
育てて頂いている存在です。

地球に住まわせて貰っているだけのものです。
人間は小さい。
地球や宇宙に比べれば、小さな体です。
体は小さい、では人間の心は小さいのだろうか。。。
取るに足らない、とても愚かで儚いものだろうか。。。



大人になった今、この疑問に明確に答えることができます。

人間の心は無限大に大きいのです。
体は地球や宇宙に比べれば、小さいかもしれません。
しかし、我々の心は宇宙と同じ、無限大の大きさなのです。

小さいという観点で見れば、その辺の草木と変わりません。
しかし、毎年[鬱蒼]となるその生命力。

その生命力は、誰しも同じように、
自然に、生まれながらにして持っているのです。
自然に生まれながらに持っているのですから、
何も不自然に頑張ることはないのです。



何故なら、草木だって頑張ってはいないからです。



自然にそのまま[あるがまま]に、
成長をしているだけなのです。
不自然に[あるがまま]に逆らうから苦しむのです。


人間の心は無限大に大きく、
その価値も宇宙と同じなのです。
病気で支配されてしまうのは、
心の極く一部に過ぎません。

何も難しいことではないのです。

努力しなくても、無理をしなくても、

我々は生まれながらに逞しい生命力

を持っているのです。





この絵を見ると、
小さな我々の視点から、
森が育つのを見上げています。

しかし、自然にそのままに、
我々にもお日様の光は届くのです。
我々も、この森と同じように、
逞しい生命力を持ちながら、
一緒に成長するでしょう。





鬱蒼 本来の鬱の意味がここで生きるのかもしれません。