・緩む状態について、猫や赤ちゃんの傍で一緒に横になって寛いでいる時の安心してその場に浸っている心理的及び身体的状態が望ましいと感じる。「吸い取る」や「霧のようなオーラのような周囲の空間」という意念では作為のような気配が身体に生じてしまう。例えばお風呂に入っている際に熱が身体に浸透してくるのに対して、それを引き入れようとしたり拒絶しようとは発想すら湧かない。このような無防備なまま、安心してただその空間に浸かっている状態でいるだけで、自ずと「吸い取る」機能が身体に備わるのに任せる。

・身体全体が均等に緩んでいる状態が大切であり、合氣が上手くいかない時は、ほぼ必ずどこかしらの箇所の緩みが忘れられていたり緊張していたりするので、そこに気付いていくことが重要。

・下丹田の中心について、自分も含めほとんどの多くの人がズレており、その事に気付けている人も少ない。おそらくこれは、中心がきちんと使われる際、全身の筋肉が均等に働き、ある意味どこかの箇所に意識的に力を入れ難くなる為、力が入らない場所として誤解し易くそこからズレた左右軸の方を中心として使いがちになると思われる。また、左右の腕それぞれにおいて中心とつなぐ回路を形成していくことが大事。


・全身が同じ状態で一体として動く状態が大事。例えば、手をグーパーさせる際、それぞれの指を個別に扱ったり操作しようとはせず手全体を一つとして意識上でも意念上でも動く。このような感覚を身体やその周囲の空間も含めて捉える。

・「力を伝える」という感覚や意念が無くなり「ただエネルギーだけを送る」という感覚が大事。この感覚が分かってきたらこれについても自分の全身全体を均等な一つとしてエネルギーを送る。

・自分一人だけしかおらず風もなく足場が足許にしかない山の頂上に立っていると想定した場合に腕を伸ばしたり、楽に左右に動かすとしたら、何かを押そうとしたり力を加えようとする時とは異なり、意識は掌に行かないし肩も使わずに仙骨辺りを中心して、その位置があまり変わらずにそこを起点として主に脇腹や側腹で腕を動かすし、重心も左右に移動させたりせず中心の位置のままを保つ方が安心して落ち着いて楽に動ける。そして、誰かからの作用を意識し構える必要もなくなるので屈筋側を使わずに緩めた方が安定して楽に動くことができる。
この状態だとおそらく相手がいない時と同様の筋肉の使い方になり、ぶつからない力になる。先に述べた、「中心を使う」「エネルギーだけを送る」という感覚、意念もこのような状態と深く関連していると感じる。


・自分の場合、右腕上腕の背側・伸筋側の繋がり・回路が弱い為、関節を絞るように前腕の外旋と上腕の内旋をできるだけ意識する。その上で、相手に先を入れて繋がるように肩甲骨の内旋を行う。

・「筋膜を取る」という意念において、筋膜を掴もうとしてしまうと筋膜に圧を加える形になり筋肉自体に押し込む力が伝わる為、薄い膜のみを取る、膜だけとくっつくイメージで行う。そして、筋膜は蜘蛛の巣やネットのように全身を覆うように繋がっていると思い、そのつもりで流れを伝える。
引く場合は筋膜のアソビをとるように張らせ、相手の肩が無意識に少し誘導されるまで張った状態のまま待ち、肩が軽く動いたのを確認してから張った筋膜に対して更に筋膜を取ったり押すなりして崩す。
筋膜から捻る場合は、捻る事で自ずとアソビがとれるのでそこまで捻った後は、「エネルギーだけを送る」意念と感覚の時のように、捻れの流れを相手の筋膜上に入れて伝導させる。

・小手返しのやり方の一つとして、相手の手を持っている自分の手の状態を変えずに自分の体幹の位置だけを移動させ、中心が自分の手を向いて楽に繋がる所に来てから一気に力を加えるという方法もある。

・相手の全体や空間ごと小手返しの作用を及ぼそうとする場合は、自分のオーラや霧のような感覚イメージで相手の周りの空間を包むだけでなく、触れている手からも氣のような意念を相手の身体の中に満遍なく浸透させるつもりで行うほうが良い。

・「ぶつからない押し」の際、中心で最後まで「吸い取る」状態を維持しつつ、手も相手に力を与えずくっついただけのままにしながら、吸い取り切った後に一筆書きのように中心から流れを起こす。手や腕から前方に伸ばそうとはしない。この場合も上で述べた「山頂に一人立っている」意念で中心で動き、中心で対応する感じの状態で行い、肩や手などの末端で応じようとしてはいけない。その為にも、中心から腕を通る流れの回路を自覚し、形成することが大事。

・「頂きに立つ」意念の際、骨盤を前傾させる時は胸骨を立たせ軸や中心の位置がなるべく維持されるようにする方が、屈筋側を緩め、中心を維持でき、安定する。


・「頂きに立つ」意念においても、自ずと吸い取る機能が備わるような「安心して無防備に空間に浸かっている」意念が両立するようにする。

・力の方向と氣・エネルギーの流れの方向とは別々のベクトルである方が望ましく、エネルギーの流れの方は相手の中心と繋がるようにするのが良い。
 

・「動く」という概念は「曲げる」ではなく、「膨らむ」という感じ方、捉え方の方が望ましい。エアバッグのように膨らむつもりになる意念とエネルギーの流れで相手と繋がる事で、仙骨からの力が直接相手の芯に響くようになる。
力と流れのエネルギーを分離して別々のベクトルに扱う事が大切。
エアバッグに相手からの抵抗があった際は、柔らかいけど膨らんだままの状態で、自然に自分の全身的な空洞の中に息を吸い込むように受け入れて自分の下丹田まで通し、真下、重力、地球の中心の方向にただ流して中心が崩れないようにバランスを取る事だけをする。
「全身でエアバッグになる」意念に慣れたら、更に身体を意識しないで氣や霧のようなオーラ的なエアバッグになるつもりの意念にするとよりぶつからなくなる。

 

・自分の身体の周りの空間を自分の見えざる霧のような身体として捉える意念について、意念上においても手応えや捕らえ処がないような純粋な無形、意識ではよく解らない精妙なものとしてイメージする方が作用がより繊細になる。

・力みというものはある意味では関節や平衡感覚がズレたり崩れたりしないようにする為のブレーキでもあるが、ブレーキが外れて各関節(脊椎や仙骨や手根骨や足根骨も含め)の摩擦が0になって、今にも滑って崩れてしまいそうな意念と感覚があると相手に合氣が伝わり易くなる。この時、身体を使ってどうこうしようとか思わず放って置くような感じ。

・上記のブレーキが外れる意念と感覚に加え、相手からの反作用や反射や気配を全身で分散して吸収するかのように全身的に身体を緩めつつ放って置きながら受け入れると、相手と同調しつつ繋がって体幹に作用が伝わり易くなる。

・上の3つの項目について、この状態は「安心する」という意念と身体的感覚が一致しているような感じであり、手応えの無い何かに繋がって既に触れているようでもあり、寄りかかるようでもあり、全身で受け入れているかのような感じでもある。


・護道のイメージで相手の肩等の関節を止めて不覚筋動を使うやり方について、止めるのは片側の肩の一点でも相手の反対側の肩や腕の無力化は充分に起こる。

・相手を認識する際、一度意識で視界の中に入れてから遠くの地平線を眺めるように視線を外す事で無意識の方に相手を捉えてもらい易くなる。身体の運動のみならず、認識についても無意識の方に預けるようにする方が自然体で在り易く、意識はできるだけマイクやカメラを向けて無意識の為に提供する程度に徹する方が良い。

・気配や意氣のようなものは身体の骨・芯に静かに収まっている状態になると脳波がスローα波になっている時、感じられる。


・意識が思い描く無為自然を求めるのではなく、身体・無意識に無意識自身が無為自然として感じるままを体現してもらえるように耳を澄ますというか、お願いするというか、意識を静かにしてお休み頂く感じ。

・清氣は身体の現象や状態に対してだけ生じるのではなく、おそらく視線や視界、認識・知覚、声、イメージ、心情等においても発生する。

・「左手の内的静けさと純粋な清氣を放する状態に全身がなっていっている」という意念も効果があると感じる。意氣が鎮まることで清氣は賦活され、意氣・作為が少しでも生じると清氣は簡単に直ぐ損なわれる。この点で利き腕は特に清氣が阻害され易いので留意しておく。


・「空間を切る」という意念は、「相手を孤立させる」「無力化する」という目的意識を持って行い、それによって自分自身が安心する状態になる事で効果が出る。

・合氣上げでは、基本的に相手の軸を自分の軸に引き入れるように自身の軸を伸ばすように立てながら、接触面を密着させて軸のエネルギー、あるいは重たさを注ぐ・浸透させるような意念が有効である。力を加える感覚や意識になってはならない。

・仙骨から背中を通す波のエネルギーを出しながらも、相手の氣や気配や反射を全身でいつでも吸い取るような状態、且つその吸い取った力で自ずと自分の身体も後方へ下がっていくかのような感覚で股関節まで緩めながら腕を伸ばしていく。但し、ここでも「相手を押す」という意図や目的ではなく、「相手を無力化する」「同調する」事を目的としてそれを行うのであり、その為にも触れる直前が特別重要である。

・相手に触れる際、指が出しゃばると相手に反応される。飽く迄も掌、中手骨までの意識で接触する。自分の指を感じてしまうと自ずと自分の身体を意識するように反応してしまう為、途端に力が打つかるようになる。掌底だけで優しく接触すると漠然とした広い空間の感覚や意念のままで居やすい。

・肩甲骨や上腕、前腕、手を互い違いに反対方向に回旋させて腕と体感をつなげるやり方について、親指と薬指でOリングの形にする事で伸筋側の回路による捻りとなり、非常に強い構造となる。

・片手で相手の手首を捻る技について、親指、人差し指、中指はお休み頂くつもりで緩め、捻る時は手先からではなく、軸→肩→上腕→前腕と順に行われていく事が大事。


・腕の動きは押したり引いたりする為に生じさせるものではなく、軸と繋がり軸の作用が伝達するように位置や形を調整するものと捉える。

・「10円玉位の重さのものを下げた鳩尾と臍の真ん中位まである長いネックレスを隆椎に引っ掛けているつもり」という意念と「仙腸関節を緩めたら仙骨が自ずと前に倒れて仙骨の3mm前方にある壁に軽く寄り掛かっているつもり」という本当に軽い気持ち程度の意念でも、軸が通るように感じる。


・船を漕ぐような動きについて、まず相手からの氣や気配や反射等を十分に自分の全身、軸に受け入れ仙骨あるいは地面の向こうにまで達してから一筆書きのように相手の方へ流れを送るように上記に書いたような腕を伸ばす動きへと繋げる。この時、相手にも自分のにも「食い込ませない」程度が適切。

・胸骨を立てる感覚によって腕と体幹との繋がりに言わばロックを掛けるような状態になり、腕や手を意識しなくてもよくなり相手と繋がり易くなる。

・「安心して待つ」という意念に身体を誘導させるのも有効そうな気がする。
 

・合氣上げの際、相手の握っている手の母指球と小指球の丁度真ん中の手首に、こちらの手首や手を緩めながらも柔らかく且つ広範囲に密着するようにさせながら、手応えが無い繋がりが生じる所を探る意念に集中すると、相手をどうこうしようと思わずとも勝手に崩れていってくれるかのような感覚で技が掛かる。

・胸骨と首筋に軸を立てるような感覚で天井へ引き上げ、且つ、骨盤を下に下げる状態になりながら、鳩尾辺りを支点、尾骶骨を力点、天に伸びた軸を作用点と捉えて体幹全体の軸を傾ける事で相手の体幹に腕を使わずに作用させる。

・力を加えるのに適した構えからではなく、何も無い空間の中でただ軸が立っている中庸の状態から動き始める。構えた時点で自分と相手の身体を物理的に意識する事になりぶつかる性質の力になってしまう。


・合氣上げにおいて、広背筋と腕をつなげた状態から腕を伸ばす際、股関節で吸い取るように緩ませて、気持ち若干自ずと体幹が後ろへ下がる感じにすると打つからずに腕を伸ばし易くなる。

・密着と緩みの感覚の中で、自分と相手の手応えの無いつながりを探る。

・胸骨と首筋を上に引き上げながら骨盤を下げる事で体幹が強くなるだけでなく、骨盤が浮かされない、動かされない状態になることが技の土台となる。

・上記の骨盤が浮かない状態で股関節を緩めて、腕でぶら下がらずに、背部から股関節へ流れを吸い込むように意念で誘導して下に引き込む事は、広背筋と腕のつながりを作る稽古に適している。

・掌の密着では、五本の指の中手骨を相手の骨に添うまでちゃんと意識する。

・手首を掴まれた状態から親指で相手の尺骨側の手首を攻める際、親指の中手骨の骨を意識する事で親指の筋肉がゆるみ、親指の中手骨が相手とつながり易くなる。

・手応えの無いふわっとした氣のような感覚で相手とつながっているように感じられたら、それを濃縮するかのように全身やオーラのようなものの全体で緩みは維持しながらもギュッと力を全体的に注ぐつもりで入れる事で大きなエネルギーが相手に伝わる。


・肩と腕を一緒に肩甲骨を開くように内旋させる事で肩の骨が揃い広背筋と上腕が繋がる。それから上腕または前腕を外旋させる事で腕が強い構造になる。

・腕は力を加える為ではなく、身体あるいは下丹田辺りの重たさを電話線のように伝達させる為のホースと捉える。力を入れたり加えたりしようとすると途端に気配が出る。

・手応えの無い世界でつながる感覚は、自分の全身や周りの空間も含めた全体が、相手のオーラのような周りの空間の全体と丁寧につながろうとする意念に慎重に注意すると全身の緩みや意識の均等感が出る。


・「仙骨から動く」というのは仙骨から軸を通して意念の作用・エネルギーが相手に入っていくという意味であり、「氣を出す」「相手に氣を入れる」と言う場合も軸において念じられているものまたはエネルギーが相手に伝わるという事である。

・ちゃんと相手の体幹やその周りの空間全体と氣のイメージの意念でつながって作用がきちんと伝わるような構造・関係になっているという感じと意識を持っていないと、相手の無力化が中途半端にしか働かず技が利かなくなる。

・軸の意念は針や蜘蛛の糸のように細い方が緩みの感覚に委ねられる身体の箇所が少しでも多くなり、力む所が可能な限り減って技の精妙さが上がる。但し、軸は細くても鉄あるいはそれ以上に鋭くしっかりとした強いイメージの方が良い。

・自分の氣で相手の氣を運ぶ・押す意念の際、自分の霧のような意念が相手の氣と触れた圧で自ずと後方へ下がっていく流れも止めずにそのままにする感じ。

・全身の緩みや手応えの無い世界でつながる感覚に注意を向ける際は、股関節や仙腸関節における緩みの感覚も忘れないように注意する。


・おそらくであるが、「氣を出す」「膨張」「同調」「手応えの無い世界で繋がる」等における氣の種類と「吸い取る」「引きながら押すの引く意識」等における氣の種類は別のものであるような気がする。「吸い取る」「引く」に適していると感じるのは意識や欲、コントロールしようややってやろう感、願望や投影、気配や力み等のいわゆる人間意識的な非自然的な作為のようなものであり、個人的にこれを意氣と呼ぼうと思う。そして、「氣を出す」「膨張」等に適していると感じるのは、命としての身体自体や自然そのものや空間自体にあるような透明さの印象のある空気感、いわゆる無為自然なるものであり、これを清氣と呼ぼうと思う。意氣は断念によって丹田や軸の内に収まっていくのが良く、意氣が分離する事で上澄みのような清氣が活きる。清氣はまた、自分の身体自体の言わば無意識が主体であり、意識はせいぜいそれを妨げないようにする事でしか関われない。自然と繋がったり、自ずと広がっていく・流れるままにしたり、身体に巡っていると良いのは清氣の方。

科学的には横紋筋のミオシンの首振り運動でアクチンと結合を繰り返して滑り込む事で筋は収縮するが、意識はそんなプロセスは認識しておらず、主観の体験世界におけるプロセスにおいては、例えばイメージの中で自転車を漕ぐ時のような身体感覚的なイメージを用いており、実際の身体がその身体感覚的イメージに応じて動いたり状態を変化する事を意識が許可して、尚且つそれによる身体の変動を意識が認識した場合に「私は意識によって身体を動かしている」と自覚する。
 

言い換えれば、身体感覚的イメージに身体が応じてくれる事で意識的な運動が能動的に可能になっている訳で、意識は身体を支配的にコントロールできているのではなく、単にイメージによって身体の生理現象を誘導させて貰えているに過ぎない。この身体の現象を誘導でき感覚と密接に結び付いたイメージを僕は意念と呼んでいる。
 

意念は例えば「手首が鉄になった」とイメージする事で手首が硬くなるように自己催眠的な作用があり、また、箸の先の感覚やバットの重心が神経が通っていなくとも解ったり、身体の軸など物理的には存在しておらずとも実際的に有効なイメージがあるように、意念は科学の概念や客観的な世界に即する必要性がなく、自らの身体を通して現象に干渉する限りにおいてはどのような様態であれ、主観的なものでありながらも有効性をもったものとしてその意義を当の主観は認める事ができる。
 

その為、意念は固体的なものではなく気体的なものであっても別に良く、自分と相手のどちらかの身体を意識をしても相手の無意識が瞬間的且つ適切にこちらの気配を感知して反射的な抵抗が生じて力のぶつかりが生じてしまう事から、自分の場合は合氣を行う際、自分と相手の周りの空間を意識してそれを見えざる身体と仮定し、触覚的なリアリティをもって意念上でその見えざる身体に注意を集中する事で感覚と身体を誘導する技術を未熟ながらも使っている。
そして、そのような意念を氣と呼ぶと感覚の言語化や説明が楽になるので、便宜上自分はそうしている。

木が揺れている それが心
重力の向こう それが根っこ
花が咲いている それが約束
奥の奥で抱きしめている涙 それがたった一人の大切なあなた