この「神鍋フェス」に愛車キャンカーアレンに愛犬ミミィと今年93才になる母も一緒に乗せて相方と久しぶりの旅行に行こうと思っていた
2020.1月末にアラン・ランバートのQueen全国ツアーの大阪、名古屋に行き、白川郷などを見ながら富山に寄りながら帰京したQueenツアー以来の車旅だ❣️
しかし今年の気象兵器はかなり正確
寒暖差±15°以上 降雨も予報キッカリに出せるほど
米⚫︎からの気象情報をありがたく頂いてから10年以上にもなるか
気象庁など不要なのだ ま、気象庁だけじゃないがw
5月に30°なんて暑さなので、急遽ショートステイをしてもらうのに、2度目の介護審査の手続きを始めた
最初の審査は76歳の時
突如始まった母の認知症
毎日散歩していた道なのに家に帰れなくなったり、出先の駅のホームでたまたま会った知り合いは、「私はどこへ帰ったらいいのでしょう」と聞かれたそうで、それを聞いた時は背筋がゾッとした
しかもFX詐欺に遭っていた
一月後の書類が届いて、100万も契約していて1ヶ月で20万もの損失😨
家電に女性の営業の電話が来て、人懐こい母は故郷福島によくいる名前なので親しげに話したという
次にその営業の女性が家にまで来て、一緒に郵便局に行き、100万下ろして契約した事が会社への電話で分かった
↓
すぐに電話して「なんでこんな認知症の高齢者を騙すんだ!」とクレームすると、「お母様は株もやっていると仰ってましたし、契約解除するなら認知症の診断書出してください」と。
消費者センターにも相談して、母と同い年のかかりつけの医師に診断書を出してもらい、速やかに解除できたが通常は無理だったろう 20万は返って来なかった
国民生活センターのサイトには、FX詐欺の被害者が国会でも問題となり、許認可制になる事になったが実施される半年間は業者が売り捌くから気をつけるようにと警告が😨
商いしてるのかどうかさえ怪しいが、我慢するしかない
国会では3千万も取られた高齢者たちの被害実例が出ていた😡
家電は留守電にセットし母の届かない場所へ移動した
介護認定の審査はその時に2人の審査員に来てもらったが、名前、生年月日、住所をスラスラ言えたので認定はされなかった😑
アルツハイマーなのか認知症なのか、もしアルツハイマーなら不可逆的なので心底心配した
その時、母が乗っていた自転車が盗まれたので新しく買おうかと聞くと、なぜか母は「いいよ、歩くから」と言ってそれから毎日往復3キロぐらい歩いていた
太っていた身体はみるみる痩せてスマートになった
相方が「家族麻雀しよう」と提案
お隣のパパさんと4人で始めたら、何と!どんどん進歩してまあ強い事!
和気あいあいと笑いながら母は上機嫌な時には歌いながら、楽しいひとときを過ごして、我が家の「頭の体操麻雀」は定番となった
そしてそれからは帰れない事もなくなり、普通に生活してきた
自転車泥棒にも感謝だ🙏
2020年5月のある日、2ndベースにいた私にクロネコさんから電話が入った
「今お荷物お届けに来てインターホン鳴らすと『はーい』と聞こえてお待ちしましたが出てこないのでポーチのドア開けて中に入ろうとしたらすぐそこにおばあちゃんが仰向けに倒れておられて今日は暑いので勝手ですが救急車呼びました」と。
病院へは娘や姪が行ってくれて検査結果は特に何もないので帰宅
それから母は室内外で転ぶようになった
室内外に見守りカメラを何台もつけて不在中の様子を録画した 母は夜中2度はトイレに行くが、終わって自室に戻る時に台所に寄って炊飯器を開けてお茶碗1杯よそって生卵と醤油をかけて自室に持って行って食べる習慣があった😅 だから毎日4合炊くその殆どが母の胃に
母と一緒に散歩をしたり、室内で足の体操したりと、同居して35年、お互い自由気ままに過ごしてきた生活が母とほぼ24時間一緒の生活になった
足首につけるEQTバンドなども付けたがあまり変化なし
その年の年末28日に室内で転んで救急搬送
初めてのpcr検査は陰性 いつも行く整形外科のある総合病院が受け入れてくれた
レントゲン検査結果は左手首を骨折 ギブス
会計時に車椅子に乗った母の頭のテッペンに赤い内出血のようなアザが出来ていたので看護師にと言うと「脳外科が無いので別の病院行って下さい」と
年末でもう18時過ぎて病院もやっていないので仕方なく年末年始は東京の家で母と久しぶりに過ごした
母は友人と年末年始は旅行に行くのが常で、2011年以降私は相方と2ndベースで過ごすのが定番だった
正月はお節を食べたりして普通に過ごせた
1/4にすぐに脳外科に行き、CTスキャンで撮ると特に問題なしと。安堵して帰宅する時に、母を車の座席に乗せるために抱き上げた私はかなりひどいギックリ腰に😱
なんとか母をコンクリートに落とさずに下ろせたが、とてもそのまま立ち上がれず、近くにいた男性に救いを求め母を乗せてもらい何とか帰宅してすぐにバイオレゾナンスで癒した
前年の味噌作りの時に30キロの樽を持ち上げて腰を痛めた時もすぐにバイオレゾナンスして翌日は味噌作りが出来たので、また大丈夫だろうと確信していた
(それが圧迫骨折していたと分かったのは、母と骨密度の検査に行った時レントゲンを見て医師に言われた)
やはり痛みも楽になり、母の介護に集中出来た
その母だが、なぜかその日から様子が変わり、一時は身動き出来なくなった 床ずれがみるみる出来る事もその時に目の当たりにした
私は脳外科に連れて行った事を後悔した
pcr検査した母は強いCTスキャンなどやってはいけなかったのだ😣
バイオレゾナンスはもちろん欠かせないケアだが、
電動リクライニングベッドをうまく使って、自力で立ち上がれるようになり、足を下ろして歩けるようにまでなった‼️
が、認知症はなかなか良くならなかった
母の部屋の隣はリビングダイニングと台所がある
それを通り越して玄関を抜けて洗面所にお風呂場と左側にトイレがある
最初はそのトイレまで行けた事に感謝🙏
ある日、冷蔵庫の下に水溜りがあった
オシッコをしてしまったのだ
自室内の畳の上にもしてしまうようになった
オシッコだけではなく💩も😣
それほどの頻度ではなかったので母の排泄リズムをとらえようと見守りカメラの録画チェックが私の日課になった 一定のリズムは無いのでまさにゲリラ戦😅
23年の母の誕生日8月にはEQTの体験会に一緒に行き、「銀河ランク」(車一台買える金額)の契約をして、せっせと母にもファインチューニングスタート
翌日には川崎市のトーラスで「生まれ変わりメソッド」
私にも黒い粒々が少しあったが、やはり、pcr検査を受けた母には黒くて長いものとキラキラの人工物が2つあるのを血管スコープで確認
水素サプリ飲んで、磁力線が出るという丸い輪っかを片手に握って30分
再度血管スコープでそれらが無くなっている事を確認
母にはプラズマベッドに入ってもらって念には念を
その夜私は帯状疱疹が出た 電磁波過敏症なのでコンセントからコードが出ているものはダメなのだ
以前AWDをヒカルランドのサロンでプレミアムコースの1回目の夜にも帯状疱疹が出てバイオレゾナンスで速攻チェック&ハーモナイズした経験があったのですぐに対処
サロンのオーナーさんにもその旨を伝えた
その日私はオーナーさんにEQTの本を差し上げ、せいやんさんに伝えると仰っていたそのタイミングでEQT開発者のミロQ氏の代理の方が来てせいやんさん契約されたので全ての機器に使われているようです
母は特に問題無かったので、これで少しは認知症も良くなるかなと期待した
24.3月、成城での知り合いのカフェライブに一緒に行った
食事もナイフとフォークで以前のように食べられてサラダなどは私のも食べるほど気に入ったようだった
ライブ終了後、隣にいた母が下向いて寝ているので起こすと、ズルズルと椅子から崩れ落ちる母😱
すぐに喉に指を入れたが何も無い!これは心臓か!と諦めようとしたら、お店の方が後ろから抱えるように圧迫を繰り返して口から何か出したら、小さなレタスの葉!?
救急隊が来てくれてライフチェックして問題ないとの事なので、自宅から遠い事もありお店の方やライブのお客様にもお礼をして母と一緒に帰宅
食事していて詰まらせた事はこの前に2回あった
焼き芋を小さく切って皿に出したら、それを摘んで半分に噛み切って食べたのにそれが詰まった
そばにいてすぐに気付いて119番しながら背中を叩いて出てきたのでその時も救急隊が来てライブチェックで問題ないというので病院に行かなかった
pcrもマスクも避けたいからだ
🍡の時は、何かバタバタした動きを始め白眼を向いたのですぐに指を突っ込んだら柔らかいものが指に当たり、吐き出させたら、すぐにまたそれを食べようとしたくらい、何も覚えてない
だから、食事は柔らかく炊いたソフト玄米に野菜も魚も柔らかく煮てその上で小さくスプーンで切ったものを食べさせている
東京では長年母が行き来していた道を一緒に歩いた
最初はよく行っていた石窯パン屋さんまでの約1キロ
あちこちから「○○さん!久しぶり!」と声がかかる。皆さん母の姿を見て喜んでくださるのだ🙏
2ndベースの525坪の庭を一人で杖をついて散歩も出来た
しかし、台所や室内排泄してしまうようになり、今年の2月までは何とか一日に4,5回はトイレに行けていたが、ほとんど行けなくなった
今はまさに味噌糞の言葉どおりの生活で、
「人間の証明」ダンジョンのラスボスと向き合っている
さとうみつろうさんが神鍋フェスをするというので母と一緒に行くつもり満々だったが、この暑さでは、クーラーの無いキャンカーでは無理と相方に言われた
熱中症になっては元も子もないのでショートステイする為にどうしたらいいか、調べたが東京はかなり時間がかかる
2ndベースの知り合いの奥さんが認知症で施設に入っていると聞き、電話してみたら、ケアマネジャーさんを通してと言われた
それでその系列の施設のケアマネジャーさんに電話した所、いつもは電話に出ないケアマネジャーさんがたまたまとって私の願いをじっと聞いて下さり、いろいろ方法をアドバイスしてくださった
母は1967年から私鉄沿線の駅からバスで20分もかかるこの地に巣鴨駅から徒歩1分の官舎から移り住んだ
当時新興の「文化住宅」は公団で分譲 倍率50倍を見事抽選で勝ち取り、姉のピアノ購入の為の預金50万を頭金にして購入した○○団地
父は私たち三姉妹にも近くに住まわせるために援助してくれた 父の退職金や預金はほぼ無くなったので、三女の私には頭金を出してくれ、私は初めて500万の住宅ローンを組んだ
その2年後、1985年に父が胃癌手術後急逝し、私は母の念願の戸建てを購入 お互いの団地を売ってもまだ一千万足りない 当時年8.6%の高金利時代に2度目の住宅ローン借りた
あれから40年もの月日が流れ
1985は日航機撃墜事件とプラザ合意(脅威)
バブルスタート
1989昭和天皇が死んでバブルが弾け、日本は外資に占拠1995年阪神大震災やオウム地下鉄サリン事件
長女が肺癌が脳に転移してから発見され4ヶ月で41才の若さで逝去🙏
2001年911
2011年311
2020年プランデミック開始
ノストラダムスも2000年問題も何も気にせずスルーしたが2009年には何か起きると予感がして2ndベースを準備してそのパラレルワールドを行き来する生活をしてきた
母を連れて来るようになったのも2023年になってから
当初は環境が変わることで認知症が悪化するかもしれないと心配で連れて来られなかったが、私は2ndベースの近隣の方々との親交も深まり、特に接種後大変な目に遭っている方々に出来る事をしているので、母を連れて来るようになった
母は混乱することもなく、むしろ帰京すると覚醒する時もよくあったので安心して連れて来るようになった
そんな2ndベースでたまたま電話に出てくれたケアマネジャーさん
私は母をこの地でみてもらいたいと思ったので転出したら早く手続きできるか聞いたら、もしそうするなら市役所との手続きも迅速にできるとの事
1.母の転出入
2.医師の介護度の意見書
母は病院と言えば整形外科しかお世話になってない
薬さえ飲んでいない
2年前、母が転倒して手首骨折した時に長年通っていた整形外科の先生が「これなら要介護2ぐらいはすぐに書いてあげるよ」と言ってくださったのを思い出して久しぶりに行ったが、剣もほろろ😢整形外科では書けないと内科に回され、翌日また行って健診もした。本当はその日にわかるのに血液検査が看護師の手違いで外部に回されてしまって結果が出るのはさらに遅くなるという
何十年も通った整形外科で、サーファーのようにいつも真っ黒に日焼けしている担当医は今や院長になっているが助けてはくれなかった
看護師さんや受付の方が誰か1人は優しく声をかけてくださるのが唯一の救いだった🙏
健診後、車椅子のまま病院のすぐそばの洋服屋の美しいママさん(80歳)の所に挨拶に行った
そのママさんとは母の様子を教えて頂いていた時期もあって電話番号も知っている 最近腰を圧迫骨折して少しお休みしていたとの事 長年のお客様はもうだいぶ来なくなってしまったと
その横には母が毎回買っていたたこ焼き今川焼き屋さんのおじさんがいる 行くたびにに母のために買うと、いつも母の大好きなものを一つサービスしてくださる🙏
その時もプレゼントしてくださった
母をよく知っている方々の温かいお心遣いに、院長の冷たい対応に冷えた心身がホカホカになった🙏
3. 4日に介護審査員がケアマネジャーさんと来訪
質問したり実際歩かせたりして普段の様子をお伝えした
母はここずっと名前しか言えなかったが、何と生年月日が言えてビックリ🫢
4.ケアマネジャーさんが母に良い規模の施設を紹介して頂き契約出来る日程調節まで手配してくださるとの事
5.昨日病院から電話があり、健診結果が出たから取りに来るようにというので、肝心な意見書はどうなっているか聞いたら市役所に郵送したと🙏
6.意見書と審査員の結果で要介護認定がされたら、それに合わせてどんなサービスが受けられるか決まります
長年年金から自動的に介護保険料が引き落とされ続けて一度も使ったことのないサービス
介護士さんたちには申し訳ない事やらかす可能性ありますがラッキーガールな母はきっとショートステイの一週間楽しく過ごしてくれる事でしょう
ホントは神鍋に一緒に行きたかった
これもまた一つのターニングポイントなんだと思って久しぶりのキャンカー旅を楽しもうと思っています
待ってろ〜❣️みつろうさん😂