3月4日に地上波で初めて”アナと雪の女王”が放映されました。松たか子さんの”レット・イット・ゴー~ありのままで~”の印象が強い映画だと思っていましたが、見てみると意外に深い内容だと感じました。
この映画の一番は恐らく、自分の力を抑えきれなくなったエルサの魔法により、身体がみるみる凍り付いていくアナ、命がけで救出に向かうクリストフ、かと思えば傍でハンスに殺されようとしているエルサではないかと思います。美しくも残酷な吹雪が印象的なシーンですよね。
このシーンの解釈は難しく、男女の愛と家族愛の対比、もしくは育んできた時間の違いなど様々あるかとおもいますが、個人的には”与えるのが真実の愛”ということではないかと思います。
振り返ってみると、アナは愛を求めていましたが、真実の愛について理解していたわけではありません。どちらかというと他者に求めることが多かったように思えます。それが先ほどのシーンでは、クリストフを待てば自分は助かるわけです。エルサを助けようとすれば自分は死ぬかもしれません。それが、あのシーンでの一瞬のアナの葛藤だったのかもしれません。
一瞬でしたがよく考え、アナは決断します。一瞬顔が引き締まったように見えたのは気のせいではないと思います。アナは身を挺してエルサを守り、自らは氷の柱になります。でも、それこそが正真正銘の真実の愛でした。それでエルサの魔法が解ける条件が揃い、アナは生き返る(もしくは魔法から解放される)のです。
もしあそこでクリストフを待ち続け、エルサを見捨てたとしたら、本当にエルサの魔法は解けたのでしょうか。エルサの死により魔法が解ける可能性を除けば難しかったかもしれません。それは、クリストフの示した愛は真実の愛であっても、アナは真実の愛を示していないからです。
この映画の根幹は雪だるまのオラフの名言に示されている通り、「愛とは、 自分より相手のためを想うこと」だと思います。この映画が製作されたのはアメリカで、キリスト教の国ですから「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 」(ヨハネによる福音書 15章13節 新共同訳)というイエス・キリストの言葉は有名だと思います。トランプ大統領も2月28日(日本時間3月1日)に行った施政方針演説でも引用していましたし。話が逸れましたが”自分より相手のためを想う”、これをこの映画は言いたかったのではないか、そう感じました。
人は最初、愛を示してもらうために必死の状態で生まれてきます。お母さんから生まれてくるということ、愛くるしい顔や手や足、泣き声を聞くとなんとも言えない気持ちになります。それが、いつしか自分で愛を示すことを覚え、成長していきます。アナもエンディングでは、クリストフに立派なソリのプレゼントをし、その行為自体を喜んでいました。こうした細かい成長に対する描写も流石だなと思いました。
ディズニーの映画も、思い返せば白雪姫やシンデレラ、眠りの森の美女など王子様が迎えに来る愛の物語が多かったのが時を経て、愛とは受けるのではなく与えるものであるということ、他者ではなく自分の中で起こる変革であることが示された、というのはとても興味深く、大人が見ても教訓的でした。
この話のもとになったのはアンデルセンの「雪の女王」と言われています。アンデルセンが敬虔なクリスチャンであったことからも、キリスト教的な真実の愛が根底にあると考えるのは深読みしすぎでしょうか。
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