「ただいまぁ〜おねがい」という感じである。

確か最初は2005年だったか、僕の小松原デビューは庸子先生の代表作【ゴヤ〜光と影〜】ですが、その年の真夏から出演させていただいているので、今年で19年。

しかし、2008年だか09年頃、僕が髪の毛を金髪にして「それ似合わないわよ!」と先生に言われ、それに反発して出なかったことがある笑い泣き

後に、「私が金髪似合わないって言ったから、拗ねて出なかったのよえー」と全てお見通しされていましたが、それと2017年に本番1週間前にアキレス腱断裂したので出られなかったことと、2020年から神戸に移住して昨年まで出ていなかったので、19回分から5つ引いて計14回出演したことになります。

いつ頃から今のように仲良くさせていただいているのか考えてみると、2013年の【フラメンコ、オペラを舞う】からでしょう。

先生のお計らいで、アントニオ・カナーレスの個人レッスンを受けられて、カナーレスに気に入っていただき、【トスカ】でカナーレスの手下役をやったときに、「どのトスカのDVDがお薦めですか?」と聞いてからです照れ

いろんなお薦めを紹介していただき、お話しをする上で僕がクラシックをいろいろと知っていることや、歌舞伎はじめ和物にも詳しいことからお話しをするようになりました。

また、僕が知らないことは直ぐに聞いて勉強してくるので、「貴方とは仕事がやりやすいわ」といった次第。

僕は芸に於いて知らないことは、キチンと知りたいので聞いて勉強するだけなのですが、とあるスクールコンサート(高校などで公演する仕事)の時、先生のスピーチのあとでサパテアード実演をする為に舞台に呼ばれたとき、「私の友達でもあります奥濵春彦さんですグッド!と言った時は流石に『いやいや、友達ちゃうから滝汗生徒みたいな下っ端ですから汗』と焦って、照れながら舞台に出たこともあります笑い泣き

 

先生に対して「NO」と言ったことがない。

言ってしまうと、今学べることが逃げて行ってしまうと感じていた。

どんなに無茶振りであっても、取り敢えず「はい!」と言うようにしてきた。

コンセルバトリオのバリバリ踊る20も30も違う若い子達と男だけで踊る、ほぼ公開処刑みたいなヌメロもやってきた。

恥ずかしいから何とかしなくちゃとがむしゃらにやって、ベッドから起き上がれなくなったくらい疲労困憊したことも何度かある。

 

敵が多い方だとも存じておりますが、僕にとっては舞台人としての恩人なので、先生が嫌がることは言ったりやったりしないように気を付けている

とはいえ、時々しくじりますが軌道修正をする方法も心得ているので、器用貧乏街道まっしぐら笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

真夏が本当に最後かわかりませんが、寂しいというより有り難い舞台と、そしてそれに関わる皆さんやお客様に感謝の気持ちでいっぱいですおねがい

 

にしても今回は運転手しますよーと那須から自車で上京しましたが、それもあってか3日経っても疲労が取れませんえーん

そもそも今年で52歳である。。。

そんな事言うと先生にまた、馬鹿にされますが、歳も含めて自分の体力管理も考えないといけないなぁと思う今日この頃。

 

明日明後日でブルー・ノートの本番の踊りをしっかりと仕込みますウインク

 

ではでは!