先週、何とか出来上がった音源がやはり気に入らず、また録り直すあせる
何度やってもズレてしまうので仕舞には:
 
『この人たちの方が、リズム外してんじゃないの!?ショボーン
 
とCDとはいえ、タブラの神様にイチャモンつける始末。。。ごめんなさい
 
ここ2週間、リズム地獄チーン、いや、リズム極楽を過ごしておりますデレデレ
来る日も来る日もスタジオに籠って、タブラのリズムと戦う笑い泣き
来月の公演で足技の競演をするディーパックさんとの曲が、先日のブログで紹介したエク・タールになるわけではないのですが、いずれにせよインドのリズムでやり合うのですから、このエク・タールだけでも自分の中で何か解決できる道を見つけておきたいと思うウインク
 
12分40秒間、即興演奏が怒涛のように繰り返されるので、同じ12拍子を刻んでいると言っても、違ったアクセントをぶつけること自体が不自然であることは承知の上だが諦めることもできず、もう一度シンプルな所からスタートし直すえーん
 
エク・タールのリズムは【4+4+2+2】で回っているので、いくらフラメンコの3拍子系の曲と同じ12拍だからといって無理くり3拍子を当て嵌めることを一旦止めて:
 
●○●○●○●○●○●○ 
 
の2拍子に戻して、ひたすら初心者のようにプランタ+タコンのパソでマーキングをするにやり
途中つられたりもするので何度か録り直し、一番安定したもので音源を作る。
今度はその録音を聞きながら:
 
○●○●○○●○●○
 
【プランタ+タコン+タコン】とこれまた大きな3拍子で初心者のように12分間繰り返し打つ。
最初の2拍子が安定してるので、これはさほど時間を要しなかった。
この音源を作って何度も聴き直し、一緒に足も打ちながら間違えてないか確認した。
うん、大丈夫ぐっじょぶ
 
ところが、どうにも腑に落ちない事態が発生笑い泣き
 
インドの音楽(リズム)は、横に時間が進んでいくように繰り広げられる西洋と違い、円形で成り立っていると、ものの本に書いてある。
所謂、小節の頭とされる最初の拍は【サム】と呼ばれ一番強い音で、このサムは始まりの音であり、終わりの音ともなる。
そして、このサムは終わりであり始まりでもあるため、西洋の五線紙のような横移動の表現にならない。
つまり小節を縦棒で区切るようなイメージはない。
これは仏教の思想につながそうで、仏教では【死=終わり】ではなく【死=新たな生】つまり来世の生の始まりという考え方につながるそうです。
 
そういえばフラメンコも、小節のことを【コンパス】と呼ぶし、コンパスとは日本語と同じくスペイン語でも円を描く道具のこと。
このことを考えてもインドから来たと言われるヒターノ達の中では、やはりリズムに対するイメージが共通しているのかもしれない。
 
打楽器は音階がない時点である意味とてもシンプルであるが、シンプルだからこそ難しい。
私がこの音階のない音に気を遣うことが一つあり、それは「ポン」と出した音がそこから前に進んでいく【始まる音】なのか、そこで止まるような【終わる音】なのかという部分。
これは打点の音ではなく、その後に響く余韻の処理の仕方になるのですが、その音一つで【前に向かって行くようなスタート音】なのか【そこで終わる締めくくり音】なのかを表現できることがとても大切だと考えている。
これが逆転するとノリというものが全く反対方向に進んでしまうのではないかと思いその研究を続けてきた。
 
文字には形や色や匂いはないが、それが言葉となり文章となることでいろいろな世界を表現できる。例えば:
 
「国境の長いトンネル」右矢印始まる音
「を抜けると」右矢印これは【間】としておきましょう
「雪国だった。」右矢印終わる音
 
と置き換えて考えてみると、これが逆転すると「雪国だったを抜けると、国境の長いトンネル。」と可笑しなことになる。
このように一つ一つのリズムの音量の大小やスピード、音質だけではなく、始まる音と終わる音の意識は打楽器には、こと民族ものにおいてはとても重要なような気がする。
 
インドリズムの話に戻りますが、この「サム」は即興演奏した後の最後の音になるのだが、実は終わったその音は前に進む始まりの音になる。
そしてCDのエク・タールの最後の「ボーン」という〆の音が、私には前に進んで行くように聞える。
 
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この本の中に:
 
サムは、小節の第一拍目の拍である。
これは周期の始まりを示し、あらゆる拍の中でも最も強調される。
既作曲は常にこの開始拍で終わるようにセットされている。
引力の中心のようなものであり、音楽家の創り出す様々な旋律やリズムの変化は、この拍に向かい収束しようとする。
もし彼らが混乱してしまい解決点であるサムから外れることになれば、とんでもない過失となる。
サムはこのように音楽的また美的に非常に重要なポイントなのである。
演奏家が即興演奏の解決を巧みな技法でサムに到達させたとき、聴衆は称賛の驚きを声に出して応える。
その時こそ、彼らが待ちに待っていた瞬間なのである。
 
とある。
この中の【解決】という表現が面白い。
フラメンコだと【レマーテ】、また他のジャンルでは【ブレイク】なんて言いますが、レマーテは【REMATE】と書き、動詞だと「Rematar」。
これは「Re(再び)」+「Matar(殺す)」で「止めを刺す」という意味になり、闘牛の用語から来ているのだと思うのですが、私的には【解決】という言葉が好きだなぁおねがい
もしくは和的に【成敗っ刀】by 高橋英樹ドキドキなら「止め」より良いかも照れ
まあ、冗談はさておきてへぺろ
 
ということは当然、このエク・タールの最後の「ボーン」という音は:
 ○ ● ○ ● ○ 
1..........2...........3   
の「1」で終わらないといけないはずなのに、足音を入れた音源を何度確認しても「3」で終わっているのだ爆弾爆弾爆弾
 
そういえば一箇所どうしても気になっている部分がある。
7分ぐらいの所だろうか、ザキール氏がもの凄い即興している部分がある。
あれは多分12拍子に他の拍子(例えば14拍子とか)を入れ込んで即興演奏しているのではないかはてなマークあせる
頭の音がどんどんずれ込んでいくところがあり、録音に入っている横で手拍子を叩く人(ベースのリズムをキープしている人)の音が一瞬慌ててグシャッとなっている個所がある。
その後、ザキール氏の解決が終わって、エク・タールのマーキングのリズムに戻った時に、ボソボソという話声が入っている。
私も3拍子を踏んでいて、いつもこの辺りで『あれ、またずれちゃッたかなぐすん!?』ということになり不安であった。
 
多分、手拍子の人が外したんだゲラゲラ  左矢印ホントかはてなマーク笑い泣き
 
手拍子の人が、迷子になっちゃったんだ爆  笑  左矢印ホントかはてなマーク笑い泣き 
 
それでザキール氏が手拍子の人に合わせたんだウインク  左矢印ホントかはてなマーク笑い泣き
 
とりあえずこれで解決グッ
しかし「3」では終わっているが、フラメンコのコンパス的にはちょうどレマーテで抜ける部分で終わるので良しとしよう照れ
 
。。。いえ、私はこういう解決を求めているのではないのだが・・・チーン...チーン
 
 
 
【付録】
インドリズムの小節の中で、サムの次に重要となるのは【カーリー】という拍だそうです。
このカーリーは「空虚」「空」といういみで、手拍子では音を出さずに手の振り(波)で表現するそう。
カーリーの重要性は、サムへの接近を示す標識になるということだそうです。
すべての緊張は、第一拍へ到達するために築かれる。
したがってカーリーは、音楽家が旋律のパターンを終えるための目印として働くそうです。
 
フラメンコのコンパスの中にも、このカーリー的な拍があるのかもしれない。
いつか出逢えれば嬉しい照れドキドキ