このところ体力づくりクラスをはじめ、いろいろなクラスで仙骨へアプローチをする。 

解剖学を学ぶ以前から確かにスペイン人舞踊手のこの部分に不思議な強さを感じることがあった。

何というか、ぶれないことは当然ですが角度といい床からの距離感といい何か美しさを感じておりました。

バタ・デ・コーラの名手のとある方の映像を見ていても後ろ向きでバタを蹴り上げるシーンの仙骨の美しさや、私が大好きなサパテードを打たれるマエストラもその仙骨の傾きや強さが目の裏に焼き付いております。

もちろん、生まれながら無意識にそこを使えている場合もあるのでしょう。

同じような感覚を日舞の先生の後ろで踊っていても感じるし、もしや秘密はここにあるのか?などと考えております。


仙骨の「仙」という漢字も、神仙や仙人というものから考えるにちょいと神秘的ですし、英語では「sacrum」というらしくこれはラテン語も一緒で、ギリシャ語の「聖なる」という語源からきているというもの面白い。

せんこつ

仙骨はその人の手の形に似ているそうです。
手の大きい方は仙骨も大きく、手の横幅が広ければ仙骨も横に広いそうです。

しこく

先日の四国ツアーの公演で本番前にこの子と舞台でパソの打ち合いごっこなんてして遊んでおりましたが、こっそり彼の仙骨を観察していて「成程、広くてしっかりとしているな~♪」と感じた。

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人間が人間になる前に何の動物だったかいろいろな説はあるのでしょうが、この仙骨の棘や横の穴は明らかに昔は脊柱が尻尾までつながっていた形で、なぜ尻尾が退化し仙骨という板状の骨ができたのか考えてみるととても面白い。

るんせび

この子達は感情や気持ちを尻尾で表す。
実は面白い見解があり、この仙骨は上下逆にして横から見ると人間がお辞儀をしている形と似ているそうで、頭部に問題が生じると尻尾の尾骨に障害が出て、足など故障すると仙骨と腰椎の部分が悪くなるそうなのです。
つまりお尻の部分に逆さまの小さい自分がいるよう。

尻尾の部分で感情を表す動物のように、尾骨(今は小さな尻尾になってしまいましたが)で考えるようにすると良いのかもしれない。

頭で考えると口に出さずとも【言葉】というもので処理してしまう。
言葉で括ってしまうと、在るべきものをそのままに受け入れることができなくなる。

この辺が言葉数を知らない子供と大人の違いでしょうか。

谷崎潤一郎氏が文章読本という本で「鯛を食べたことない人にその味をどのように伝えるか。言葉というものはそれを表現するのに限界があり時として不便なものでもある。」というように書かれているが、こと芸道においてこのことは最も重要なことではないかと思う。

バレエを習い始めたころ、最初の先生ですが「ダンサーとは神になることです」と仰った時に非常にびっくりさせられた。
先生は「ダンサーとは普通の人ができないことを行う。いわば人間を進化させたのがダンサーなのです」と仰い『成程ぉ~!!』と感心致しましたがそのすぐ直後「ですからクラスでは人間以下にならないように!昆虫とか・・・と私を見られたことを思い出す。

人間を進化させたものがダンサー。
納得いたしますが、

腕をもっと鳥の翼のように!

脊柱はネコ科の動物のように柔らかく!

脚はサラブレッドのように強く早く美しく!


などという表現で動きの説明をすることを考えると、外から見える表現は人間を進化させた肉体だが、内から見ると骨などの機能的な部分は人間になる前の動物へと退化させているのではないかとも感じている今日この頃でございます。