武満徹さんの本に:
- 武満徹エッセイ選―言葉の海へ (ちくま学芸文庫)/武満 徹
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その民族の文化や風習はもちろん、体格などによりその楽器の形・大きさ・演奏方法が変わってくる、とあったのですが、なるほどそりゃそうですよね![]()
我々東洋人が、バレエやフラメンコなどを学ぶ際、どこかで日本人であることを否定しながら学ぶ部分が必要であるように思えます。
僕の場合、例えフラメンコがロマの文化であるにせよ、スペインという西洋に根付いているので、西洋人の骨格を意識するのに一番手っ取り早いのがバレエだと思い、今も週4日以上はレッスンを受けています![]()
そして、バレエの稽古をしながら、動きの可動域を広げるために、解剖学を意識しながら筋トレやウォームアップの仕方を独自に探しています
関節の可動域や、骨のつく方向性はやはり、西洋人と日本人では違うので、彼らと同じ方法でのトレーニングではダメだというのが僕の持論ですが、その違いをどんな些細なことでも見逃さず、そして理解し体の根本的な部分から少しずつでも彼らのコンディションに近い状態へアプローチしていくという方法は効果的だと思っております
先日、日舞のお稽古でお師匠様に「手(指)を反らせるときは、この部分から反るように意識すると良いのよ
」
と教えていただいたのですが、なるほど、この部分から反るということは解剖学的にも理にかなっております
つまり、手の骨というのは図のようになっておりますが、実際の皮膚の上から見える指よりも、骨格から見る指はさらに手首に近いところにあり、
オレンジ色の部分が、指の骨になります
指の骨が始まる部分の関節の可動域はほとんどありません
ですが、日舞で習ったように、ここから反るように意識をする、またはフラメンコでは手首を回し、指の動きを美しく見せる場合も、この関節から使うように意識する![]()
はたまた、パリージョなどの楽器を演奏する時もこの部分から指を使うように意識すると、力強く叩くことが出来ます![]()
実は、この指の意識は足にも言えることです
図のように、骨格から見るとほとんど手の骨格と同じで、当然のことながら【足の指】として皮膚の上から見えるのは:
この部分のみで、実際の指の骨は、もっとかかとに近いところまであります![]()
緑のラインから上が足の指になるわけです
ここで、動物(猫
)の骨格を見てみましょう![]()
彼らの足と床の接地面は、人間でいう皮膚の外から見たときの指で
図のようになっております
人間の踵の部分は、彼ら場合、床から離れています![]()
つまり四足歩行動物から二足歩行動物に進化した時、バランスを取るために、踵骨が床に付くようになったのが人間です
しかしながら、スペイン人の踊りを見て「動物的だ
」と表現されたりしますが(フラメンコに限らず外国人の動きに対しても)、彼らの重心というのは例え踵骨が床についていても、
この緑やピンクのラインに重心があります
ですから踵が上がった状態でも:
この部分に重心があるため、ピンヒールなんて履いてもへっちゃらなのです![]()
踵骨に重心がある日本人は、ヒールと床の接地面に重心が来てしまうので、グラグラしてしまう訳です![]()
しかしちょっと待ってください![]()
四足歩行から二足歩行に進化した人間が、バランスを取るために踵骨を床につけるようになり、西洋含む外国人の重心は土踏まず辺りにある。
しかし、この極東の島にたどり着いた我々日本人の先祖たちは、縄文・弥生時代からの農耕(特に稲作)の風習で、さらに踵へ重心を移したのですから、土踏まず辺りに重心のある西洋の人たちよりも二足歩行動物としては進化した人種と、発想を変えてみれば言えるのではないのでしょうか
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なので我々日本人が海の向こうのものを学ぶ時、少しだけ退化すれば良いのです
なぁ~~んて冗談はさておき![]()
アートを探求していくということは、ある意味、人類の祖先へと退化していく行為なのかなぁ~、なんて思ってしまったりするときもあり。。。
兎も角、冒頭に書いた「日本人であることを否定しながら」というのはこういうことでございまして、この重心の意識だけで動き易さや動きの質が変わってきますよ









