春之付″録″-me


物を見る【視覚】というものは、物を聞く【聴覚】と切っても切り離せません音譜


しかし【聴覚】は聴覚のみで存在することは可能ではないでしょうか☆


【舞踊】は空間芸術、いわゆる視覚系のアートですが、悲しいことに音楽なくて存在することは難しい部分があります。


「舞う」ということが、音楽に即するからでしょうか。。。


意識してある物を見る時、無意識のうちに必ず言葉を介して認識すると思います。

つまり、物を見て、何かということを認識する時、言葉という聴覚からくる情報により頭で認識されるため、視覚は聴覚と切り離せないのだと思います。


ですが面白いことに、真剣に怒りを覚えた時、メチャクチャ嬉しい時、とてつもなく悲しい時...etc 人は一時的にでも目を瞑りませんか?

大きな感情を表現しようとする時、視覚というものを一時的に遮ろうとするのが、人間の本能なのかもしれませんニコニコ


しかし、舞台に立つ表現者が目を瞑って表現するわけにはいきません。。。あせる


そこで、舞踏家の大野一雄さんが面白いことをおっしゃっておりましたのでご紹介させていただきます得意げ


みんなの目を見た。

何かね、考えているような目が非常に多いんだな。

こうしよう、ああしようって。


宇宙の、宇宙が目の中に集約されいる、要約されている。

目がまるで宇宙のような。

こういう中で無心になることができる。


探している時は、考えている時なんだ。

これじゃ無心になんかなれない。

ものが生まれてこないんですよ。



そういえば昔、日舞のお稽古の時にお師匠さんに、


「目がキラキラッとよ!」


とご指導いただきましたが、こういうことだったのかもしれません得意げ