見習いパテシェ 吉祥寺編10 | 人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か?

人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か?

丙午生まれです。まもなく丙午の年が来ます。山形生まれ、バブル期を東京で過ごし、家を継ぐために山形で暮らしています。昭和、平成、令和と時代をめぐって稀な世代『丙午』とは何なのか自問自答の人生です。

たぶん昔から「ケーキ屋さん」と言えば華やかなイメージで、作り手も売り子さんもスマートな技術や道具を駆使して、美しく美味しい食品を作り出す魔法使いのような職業!だと思っている方が多いと思います。ですが実際は作り手も売り子も、体力、腕力、想像力、そしてセンスが求められます。パン屋さんもそうです。まず30キログラムの砂糖袋や30リッターサイズのミキサーボールをを持って動かないといけません。仕込みの量にもよりますが総量約10キログラムの銅鍋をコンロで強火で炊いてクリームを作ったり、巨大オーブン(パン窯)で200度前後の温度でひたすらケーキ生地や焼き菓子の類を焼いたり、ショーケースに並ぶ可愛らしいお菓子たちとはまるで想像が出来ないであろう労働力が必要です。そうして次に味覚と想像力で、食材の組み合わせを考えて形にしていきます。基本の菓子は味、形状とも定番の商品はあるのですが、そこから新製品を考えたりバリエーションを加えたりする工夫する能力が必要とされます。その過程で作り手が表現するセンスが求められます。

料理人もそうですが、1人前になると言うかお客様にお出しできる商品が出来るようになるまでには相当な修業、訓練が必要な職業なのです。

それに気付かされるのはその業界に入らないとわかりません。いまでも業界あるあるで、ショーケース内の商品に憬れて飛び込み入社した女子が、上記のような工場での重労働に付いて行けずすぐ辞めて行った、と言う話はよく聞きます。逆に、1から商品を作るクリエイティブな部分と菓子の世界の奥深さに惹かれ、料理人からパテシェになったという方も多くいいらっしゃいます。

専門学校や職業訓練校の料理、製菓の部門があるのも、仕事の導入部分、基本的な事を知るいい機会ではあります。

「パテシェ」と言う言葉が一般的に認知されて久しいのですが、自分が在京中の頃はまだ業界の中ですら使われていませんでした。バブル期の東京は、特に都心に近い程、オーナー会社の元にシェフパテシェ(チーフ)が雇われていらして、規模の小さな個人店は、そう言った大きな会社やホテル、レストランの洋菓子部門程宣伝やマスコミに取り上げられる頻度も少なく、数年後、バブル崩壊の余波で大企業お抱えの有名パテシェが独立して個人店を出して次々話題になっていって、プラスそれ以前からの個人店も話題になっていった。が大まかには実情だと分析します。

自分のいた個人店いずれももそこそこの人気店で、職人が見習いとはいえ数名いた訳ですので、そこは不思議東京バブル期と丙午的な関係?なのでしょうか。

 

そうして吉祥寺での修業は進み、プチ店の皆さんとも合同でのお花見や食事会、いろんな福利厚生的な恩恵等も受けつつ、ある夜、ある大きな?事故?に巻き込まれました。