人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か? 或るパテシェの東京時代ダイアリー

人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か? 或るパテシェの東京時代ダイアリー

丙午年の生まれです。とうとう丙午の年が来ました。
山形生まれ、バブル期を東京で過ごし、家を継ぐために山形で暮らしています。昭和、平成、令和と時代をめぐって稀な世代『丙午』とは何なのか自問自答の人生です。

時系列的に、昭和から平成へと年号が変わり、時代も”昭和時代”から”平成時代”へとリアルに変化して行く訳ですが、昭和天皇が崩御され、1年以上過ぎて一般的に喪が明けたとされる頃に、当時の皇太子殿下の弟様に当たる現在の秋篠宮殿下のご結婚がお決まりになり、婚礼の儀が行われました。

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新しい時代の始まりにふさわしい、皇室発のおめでたい雰囲気が今度は世間を席巻します。特に当時東京に住んでいた自分はその流れの雰囲気をまんま感じて…いたのかどうかはあまり記憶が無いのですが、日々仕事に追われていたのが実感ではあります。

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確かご成婚された当日か数日後かに、秋篠宮殿下と紀子妃殿下が車でパレードをする姿を広尾の店の前で皆で拝見させて頂いた記憶があります。ご成婚のパレードでは無いと思うのですが、後部座席から歩道の我々に上品に手を振られる妃殿下のお姿は奇麗でした。なぜ広尾界隈を、そして店の前を通られたのか、今となっては分かりませんが、確かに拝見出来たのでした。ここでも在京の強みを生かして貴重な体験ができた事は良い思い出です。

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そして今年、紀子妃殿下も還暦になられたと報道があり、あ、そうか同い年だったんだと再認識致しました。あまりに遠い存在ですので忘れていましたが、ご結婚されると報道があった時にはその年齢を聞いて同い年なんだ!と親近感も沸いていたのを思い出しました。

1989年1月は、昭和天皇が崩御されてしばらくは「喪に服す」の政府の宣言もあって、繁華街のネオン看板は控えめになり、テレビ・ラジオでは華やかな演出は控えていた感じでした。そしてそのお葬式に当たる「大喪の礼」が2月に行われる発表があり、いつものように工場のBGMでラジオを聞いてますと、期間は忘れましたが、皇居の中に一般国民向けの記帳台を置きますので希望される方は来てください。と言う案内がありました。

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その案内がきっかけで、当時大学生だった友人と2人で皇居内「吹上御所」に記帳をしに行った記憶があります。これも当時在京の恩恵とも思っています。同行した学生の友人はともかく、せっかく東京に住んでいながら仕事柄週一回平日の休日では中々自由時間が取れない生活で、「皇居」なんて近づいた事すらなかったのです。

あ、半蔵門のFM東京には何度か行きましたが遠くに見える門、その名の通り門を眺めるだけでしたし、二重橋やら広場やらとは反対の方ですし。

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自分の休日と記帳できる日時が合って午後からだいぶ並んだんだと思います。「吹上御所」は普段入る事が出来ない場所と認識していましたが、本当に二重橋を渡り、並んで進んでいった記憶があります。なので、それなりに緊張と冬の寒さと段々と夕方に近づく日暮れ方が、晴れていた空を何とも言えないオレンジ色に染めていく時間をじっくり感じる事が出来たひと時でした。 

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一通り行列に並んで進みながら、ふと気付くとその場所は特殊な場所だとわかりました。東京の中心のその場所は、周りより少し標高が高く、ほぼ360度見渡せるのです。江戸城だった場所ですし、なるほど城下を見渡せる作りの場所に皇居を持ってきた意味が分かりました。そしてその時見た景色はちょうど段々と夕刻になる時間帯。冬の乾燥した空気はオレンジ色に染まっていく空と都下の、まず摩天楼!そして街!。眼下に広がるバブル期の東京!スカイスクレイパーライト!素晴らしい夜景となっていく姿を特別な場所でこの目で見れたのは一生の思い出かも知れません。

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そうして無事記帳を済ませ、友人と2人感動したねと言いながら帰路に着いたのでした。

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つい先日TVで上皇様が、この一連の天皇陛下の崩御された際の大掛かりな役事を簡素化出来ないか相談されたーみたいな報道がありました。そのニュース映像の中に確かに世の中自粛ムードだった各シーンがありました。祝い事や大きなイベントは中止となり、葬儀に当たる「大喪の礼」当日は大型店舗・百貨店などは営業自粛で休みになったと。何故かタイミングよすぎです。

 

 

 

今年還暦を迎える丙午生まれの我ら。年号で言えば昭和41年生まれであります。義務教育と高校生活を終え、その数年後、昭和64年1月に昭和は終わりました。

自分は当時、広尾の店・工場に勤めていた頃です。確か前年の夏ごろに昭和天皇が体調を崩されて入院したと報道があり、そこから徐々に体調が崩れていったようで度々ニュースで体調の変化(特に悪化していく様子)が報道されるようになると、バブル景気真っ只中の東京で、派手なCMや豪華な行事が自粛されるようになりました。同時にTV・ラジオの言葉使いも祝辞的な言葉はご法度となり、皇室にお見舞いと天皇陛下へのお気遣いが優先されると言う、これまた初めての経験をした覚えがあります。

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とは言っても我々普通の一般市民は普通に日々の暮らしをこなして行くだけで、特にまだ社会経験が未熟な我らは特に指示や影響を受けて行動が制限されたとかの記憶はありません。ただ、季節柄段々と寒くなって来て更に年末が近づいて来ると、それに呼応するかのように、天皇陛下のご容体も日々悪化して行く報道がなされて来ました。するとさすがに、近いうちに天皇陛下がお亡くなりになると世の中どうなるんだろう、とそっちの?心配と言いますか好奇心と言いますか、工場や店のスタッフと未知の心配を話題にはしていました。

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そして、昭和64年(1989年)が明けて数日後、昭和天皇はご崩御されました。程なく日本中が喪に服すお達しが政府から発動され、繁華街やデパートの電飾看板の自粛やTV・ラジオもお悔やみの特番が続き、CMもあまりなかったような気がします。

それからしばらくして天皇陛下の葬儀「大喪の礼」が行われる報道があり、年号も「昭和」から「平成」へ、つまり天皇陛下も交代されたのでした。

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でも自分の記憶では自分らの職場は仕事の変化はなく、特に店が休みになったとか営業時間を短縮したとかはなかったと思います。

物流は普通に動いているし、人々も普通に生活していましたので。ただ時代はインターネットなどまだまだ普及する前、この時期お笑いバラエティーが無くなったTVは面白くないので、巷ではレンタルビデオやレンタルCDが大流行りでどの店も大盛況だったとか。

(続く)