人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か? 或るパテシェの東京時代ダイアリー

人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か? 或るパテシェの東京時代ダイアリー

丙午年の生まれです。とうとう丙午の年が来ました。
山形生まれ、バブル期を東京で過ごし、家を継ぐために山形で暮らしています。昭和、平成、令和と時代をめぐって稀な世代『丙午』とは何なのか自問自答の人生です。

そのTV番組は観ていたと言うより、夕食時からただ付けていたと言う流れでボーっと見ていた夜の情報バラエティだったと思います。なので残念ながらタイトルも出演者も記憶が曖昧なのですが、日本の昭和時代か平成に入った頃の懐かしい事件や事象を紹介する番組で、その情報コーナーが始まった冒頭にMCが

『○○ならば浜田山に行け!』(○○は聞き取れなかったです)と叫んだのを聞いてまず驚いて画面を見直したのを覚えています。

その内容は、かつて大御所ミステリー作家の原稿書き上げのタイミングを計って、各出版社の編集者が作家の自宅のある私鉄の駅に降り立つ話で、その人気作家の自宅には原稿を待つ編集者が自宅内外で待つ姿や、時には自宅内で作家と打ち合わせをすると言う、昭和末期の時代に、出版業界内の有名な話があった、と言う内容でした。当時の記者の方が番組に出ていた感じだったでしょうか。

その大御所ミステリー作家と言うのが、あの”松本清張”さんだった!と言うのです。昭和をリアルに知る方ならその名は聞いたことはあるはずで、書籍にドラマ、映画に舞台、ノンフィクションも含め、当時作品は人気を博し、社会現象、ブームにもなりました。実は先日NHKTVで氏の作品ドラマ「天城越え」を観て作家”松本清張”の存在を改めて思ったのでした。

自分が浜田山に住んでいた1980年代後半はまさにこの時代に当てはまります。ただ”松本清張”が住んでいた事は当時は知りませんでした。この時のTVで初めて知りました。今の時代すぐネットで調べると、確かにその通りで事情通にはある意味、氏の浜田山在住は周知だったようです。

ただ当時、店の社長家族や先輩や関係者からここ”浜田山”周辺には、芸能人有名人が割と多く住んでいるよ、とは聞かされていたのですが。もう時効でしょうから聞かされた名前を挙げれば、菅井きんに八名信夫、尾藤イサオにタモリの運転手、作家では阿刀田高氏とか、店のバイトにもその昔、某女性シンガーソングライターが入っていたとか。…この沿線、そんなに凄いのかー!と、聞かされました。(てもそんなに実感はなかったですが)確かに商店街を歩く人ごみに紛れて似たような姿をチラホラ見かけた事はありました。

”松本清張”…特にマニアとかファンでは無いですし、作品も好きで沢山読んだとかではなく、テレビドラマで見てその名を聞く位でしかない御方ですが、偉大な有名作家とのニアミスとでも言いましょうか、勝手にですが、密かな有名人との繋がりをまたこうして気付けた事が不思議ですし、自分なりにココに記すことが出来て良かったと思います。これも”塞翁が馬”に入るのでしょうか。

自分が感じる丙午生まれの特殊さや経験、出会いをブログと言う形で書いて、果たしてそれが普通なのか特殊なのか、目に留まって読んで頂けるかどうかも含めて、もし見て頂いた方がいらっしゃるなら、少しでも”そうそう”と共感するのか、逆に何か引っかかるとか違和感を感じるとか、はたまた普通だよそんな事は!としらけるのか。そんな思いを大げさに言えば”共有”出来たらいいかな、などと思いつつ、まだそれは高望み的な状況だと理解しております。ただ、ネットやスマホが急速に普及して過去も現在も簡易に顧みる事が出来る時代になり、こうして書き残していること自体ひょっとして何かに突き動かされる感も否めないのが正直なところです。

特に数年前に強く気持ちが動いたのも、TV番組で在京中数年間住んでいた”吉祥寺”が大きく取り上げられていたのを見てコレをきっかけの題材として”書かねば”と感じたのも事実です。

今年になって更に『TV番組を見た~』での通り”書かねば”の題材が何故か目に入って来るのです。少々不思議に思うのは自分だけなのかどうか、、、

実は「TV番組を見た」の吉祥寺の話の後にだいぶ経ってからですが、やはりTVで何の番組かは忘れましたが多分情報バラエティーで、『浜田山』を取り上げた情報がありました。その時も驚きました。1つは、「浜田山」という地名自体が全国区の番組で出ること自体あまりない事で、もう1つは、その情報と言うのが、住んでいたのに当時も今ままでも全く知らない事だった!と言う事実です。(続く)

1989年に行われた『横浜博』

 

横浜博開催中の空撮

 

コレを知っている方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?

更にリアルに行った方となると貴重でしょう!

かく言う自分はリアルに行きました!現在の横浜みなとみらい地区に、開発前に大企業の巨大な展示ブースパビリオンが当時の日本経済の好調ぶりなままに建てられ、これぞ万博か!みたいな感じで、それ以外にも遊園地やアトラクションもあり、あのディズニーか!くらいな規模だったのを覚えています。

↑のYouTube映像を見るとその規模の大きさがわかります。

当時広尾の工場で使う生クリームとかを扱う乳業メーカーの営業マンから、そのチケットは頂いたのでした。

実際に行ってみてビックリ!でした。規模が想像以上にデカいのです。広いのです。広すぎてたぶんケーブルカーやバスも自由に乗れて移動用に使えたと思うにですが、若かったので歩き回った記憶があります。と言うかそれらも大勢並んでいて歩いた方が速い!かな?…空いている所から回ったはずで、例えば某電機メーカーの巨大なパビリオンに入ると、大きな映画館のようになっており、専用眼鏡を掛けて3Dの短編映画を見たり、それはまるであの”キャプテンEO”のようでしたし、他でもそういった感じの近未来的な体験をした感じがします。当時世界でも最先端の技術を披露した見本市的な位置付けだったのかも知れません。今もある巨大な観覧車コスモクロック21もこの時に完成・登場し、並んで乗った記憶があります。

そして同時期にあの”ベイブリッジ”も開通した時でした

自分も実は↑の映像を見て思い出しながら改めて驚いていまして、その規模の大きさではバブル期に体験した最も大きなモノだったと思います。

規模の大小はありますが当時の東京近郊ではこういったイヴェント、行事はたくさん開催されていて、一市民の自分達にも入場券とか頂けたりして(もちろん無料で)その恩恵にあやかれた時代でした。それが自分が感じたバブル期の恩恵とも言える、収入は少なくとも肌で感じた好景気だったのでしょう。