昭和の歌姫の命日 | 人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か?

人間万事塞翁が馬 丙午ですが何か?

丙午生まれです。まもなく丙午の年が来ます。山形生まれ、バブル期を東京で過ごし、家を継ぐために山形で暮らしています。昭和、平成、令和と時代をめぐって稀な世代『丙午』とは何なのか自問自答の人生です。

>”今から35年前の1989年6月24日、美空ひばりさんは52歳という若さで亡くなった。国民的歌手として今でも絶大な人気を誇る彼女が、なぜ“不死鳥”と呼ばれるようになったのか。その伝説の一部を紹介しよう。・・・”<

(ネット記事より引用)

 

桜桃忌に続き今日は美空ひばりさんの命日です。記事の性格上前回及び一連の話題より4年ほど進んだ話です。今後もたぶん時系列が年代の時期が前後する話が多々あると思いますのでご了承ください。

 

美空ひばりさんの事は詳細はネット記事に山ほどありますのでそちらにお任せですが、特に我々年代との関わりとなると微妙な感じな方が多いのではないでしょうか。当時の親世代の方が大ファン!が一般的だったと思います。

ラジオ好きの自分はテレビよりラジオを聞く時間が圧倒的に長く、それは工場でのBGMが”ラジオ”が主だったのもあります。が、ラジオの話は詳しくは別の話として、当時バラエティーを席巻していた”とんねるず”が夜のラジオ番組で「この後俺らは新宿のディスコに行くぜ!」とか生本番中に美空ひばりから電話があって、「この後美空ひばりの自宅に来い!と言われた!」とか、勢いのある若手2人に煽られるように当時の若者たちは影響を受けていたと思います。そして後者の話の後日談として、とんねるずが美空ひばりの自宅・ひばり御殿と言われた目黒区の高級住宅に招かれ、ともすればその破天荒な振る舞いに、ご本人から叱責や苦情を言われるかと思いきや、逆にたいそうなおもてなしを受けたのだとか。大御所の懐の深さと、割と新しい感覚を肯定的にとらえる方なんだと思いました。その後、ひばりさんは若者が好むバラエティー番組などにも度々出ていた気がします。

…それから数年しての突然の訃報に日本中が悲しみに包まれました。そしてその葬儀が行われた訳ですが、最寄り駅から自宅や葬儀場に一般人の参列者が行列をなしている!とニュースで生中継がされる程の話題となりました。すると何やら見覚え聞き覚えのある住所が連呼されてるではありませんか。”目黒区青葉台の…”その時初めて、あのひばり御殿が当時の自分の自宅アパートから僅か1キロほどの場所にある!と知ったのです。目黒区と言うのは当のラジオ番組等で知ってはいたものの、まさかこんなに近くにいらしたとは!

一連のほとぼりが冷めた頃、友人2人と当時の自宅(現「美空ひばり記念館」)前に行きまして手を合わせて来ました。まだ門前には複数の大きな生花が飾ってあり、住居内侵入禁止と、ご支援に感謝します旨の張り紙がしてあったのを覚えています。

流れで言えば、この年の1月には昭和天皇がご逝去され、後日大喪の礼が行われ、その後の皇居での一般人対象の御記帳にも行けたのでした。東京に住む特権を生かした時期でもありました。