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前回の続きです。
熱いやかんにさわる(行動)→やけどする(結果)→2度とさわらなくなる(行動の減少)
というように、行動が減少するのが「punishment・罰=弱化」です。
行動の結果として、痛いこと、辛いこと、不快なこと、嫌なことなどがあれば、その行動は減少していく。という考え方です。
…積極的罰とか消極的罰とか、嫌悪刺激がどうこうとか、なんか、いろいろありますけれど、はりっぴ的には省略🌸
問題は、「行動が減少するなら、どんな罰を与えてもいいのか?」です。
個人的には、「ワザと不快な思いをさせる。」みたいな「punishment・罰=弱化」は、他に手段がなく、このままでは、命の危険がある。くらいのときにとる手続きと思います。日常的に、高頻度で使用するのは良くないと思っています。
何故ならば、「慣れ」てくるからです。「punishment・罰=弱化」の手続きは「今でしょ!」というときに、バシッとやったほうが、効果が出ると、個人的には思っております。
例えば、子どもが遮断機が下りた踏切を渡ろうとしました。というときは、怒鳴ってでも、強く抑えつけてでも、踏切内に入ることを阻止しなければいけません。
子育てをしてきて、こういう、「まさか!の出来事」は体験してきました。「ASDの男の子」。という「だけ」ではないかもしれません。こういうことがある度に、もうこれからは他を見ないように環境調整をしたり、ダメなものはダメだと教えたりして、いつまでも仲良く暮らしていけたらと強く思います。私にとりましては、自分の子どもは「この子だけ」なんです
また、
私が親の立場でいちばん怖い。と感じますのが、「punishment・罰=弱化」の手続きの過程で「子どもの反応が親を強化していく可能性がある。」ということです。
私は実は、これが、子どもに治療が必要なくらいの怪我を負わせる虐待の原理なのでは?と思っております。
広義には、育児放棄(ネグレクト)やイジメの原理も、弱い者をもっと弱化させようとする者が、その行為によって強化され続けることにあると思っております。
例えば、他害があるお子さんの場合です。
お母さんをつねりました。お母さんは大声で注意しました。子どもはいったん、つねるのを止めましたが、次の日も同じことをしました。お母さんは大声で注意しましたが、つねるのをやめなかったために、子どもの手を叩きました。こどもはつねるのを止めました。
これがループしていくとお母さんは、行動が強化され続けることもあると思います。
このときに、第三者の介入があれば、このループを止めることができるのですが。。。
本来は、「他人をつねるという行動は自分が損をする。」というのを教えることが躾だと思います。
大声で叱ったり、手のこうをしっぺしたり…。それを「愛」と捉えるか「虐待」と捉えるか?
違いは、こういうところにあるのかもしれない。って、私は思います。
・・・「懲戒権」までたどり着けませんでしたので、次回に投稿いたします。
よろしくお願いいたします。