心理的安全性① ~春だから~ | はりっぴのABAセラピーと育児日記

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私の子どもは、年長さんになりました。

担任の先生は、新しく赴任されてきた、若い男の先生です。すごく爽やかで、キラキラキラキラされています。

先生のお話を聞くママたちの表情もキラキラキラキラです。

 

年長クラスのママの心を鷲掴みって感じですニコニコ

春だから花

 

いい先生だと思うのですけど、私のキラキラキラキラポイントとは少しちがいます。

 

私のキラキラキラキラポイントは(何度も書くのは恥ずかしいですが💦)

(わが子だけではなく)子どもさんが好きで子どもさんを大事にされる方ですキラキラ

あと、もう一つあって「物事の本質を見ている」方です(なんのカミングアウトでしょうか…)。

この二つがそろうと、「ステキキラキラ」と思います。

 

というわけで、本題です↓ニコニコ

 

 

ご覧くださりありがとうございます。

 

前回の「はりねずみは、考えた。」の続きのはなしです。

 

「心理的安全性」という概念があるそうです。

 

一言でいうのは難しいのですけれども(只今、勉強中です)私なりの解釈では、

 

「チーム(会社)の中で、分からないことを聞いたり、ミスをしたりしても、責められることがない状態。チーム内の誰もが安心して発言できる状態」でしょうか。

 

赤ちゃんや子どもの愛着形成で必要とされる「母親は安全基地になりましょう」という考え方と似ている、と述べている方もいらっしゃるみたいです。

 

それで、「心理的安全性」の観点から物事を見てみたい、と思いまして、最近は主に、医療事故・過誤とそれに準じる判例・裁判例を読んでいました

 

「心理的安全性」という観点から、判例・裁判例を読むと、必ずしも、裁判所の判断が本質を捉えているわけではない、ことに気が付きます。

それは、事故の前の医療者の会話などから、見えてきたりします。

 

見方を少し変えたときに、物事の本質は、善悪や勝ち負けとは、まったく違う場所にあったりするようで、

正しい人などいない。正しいものなど存在しない。そういう目がいるのだと思います。

 

「心理的安全性」につきましては、記載することが膨大ですので、

なんとか、まとめて、何回かに分けて投稿したいと希望しております。

 

子育てブログと関係あるようで、ない、のかもしれませんけれども、とっても大事な概念と思いますし、

私の勉強にもなりますので、共感する方がいらっしゃいましたら(私のキラキラキラキラポイントへの共感でもOKです)、どうぞ、お付き合いくださいませスター