ルクソール神殿はカルナック神殿同様にアメン神を祀るもので、オベトの祭礼を行うために造られたものです。オベトの祭というのは、毎年、ナイルの増水期に行われるアメン神と妻ムト女神の結婚の祭礼
聖なる船にアメン神像を載せ、10日間に渡ってお祭りをしたのだそうです。

ラムセス2世の座像

ルクソール神殿正面の入口両脇には巨大な大理石坐像と左側に高さ25mの巨大なオベリスクがある。右側のオベリスクはムハンマド・アリ(1769~1849)が1833年にフランス国王ルイ・フィリップに贈ってしまい、今は片方しか見ることができない。現在はパリのコンコルド広場に立っている。ヨーロッパ各地にはエジプトから持ち出されたオベリスクがたっている。
エジプトにオペリスク45本あったが現在では7本しか残っていない
1805年、トルコのスルタンによりエジプト総督に任命されたムハンマド・アリは、マムルーク族を虐殺、排除し、エジプトの近代化を推し進めようとしていた。フランス人、イギリス人、ドイツ人や自称技術者たちがアリに群がっていた。アリはエジプトの近代化と産業振興のため、ヨーロッパからの機械や技術を導入する必要があった。しかし、その代償としてヨーロッパ人に遺跡の発掘権と持ち出しを認めざるを得なかった。後進国エジプトの悲しい現実があった。
その後、オスマン・トルコからの支配から脱しようとしたが、1854年のスエズ運河の建設にからんで、イギリスに支配権をにぎられてしまい、以降、植民地状態が続くことになる。(「古代エジプト探検史」創元社より)
エジプトが独立を果たすのは、1954年ナセルの共和国宣言によってである。
その後、オスマン・トルコからの支配から脱しようとしたが、1854年のスエズ運河の建設にからんで、イギリスに支配権をにぎられてしまい、以降、植民地状態が続くことになる。(「古代エジプト探検史」創元社より)
エジプトが独立を果たすのは、1954年ナセルの共和国宣言によってである。

7日目は、早朝に下船して国内線でルクソールからカイロへひとっ飛び
世界遺産カイロ市内観光
ハンハリーリバザール
モハメッドアリモスクが最後の観光になります
18時40分発カイロ発ドバイ経由で関空へ帰路につきます