1944年12月19日、空母雲龍は東シナ海で桜花・震洋を輸送中に敵潜の雷撃で沈んでしもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

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空母雲龍は『〇急計画』により
 
急ピッチで建造されました。
 
当時の日本の予算・資財・建造能力などからして
 
大鳳・信濃などの大型空母建設より、
 
飛龍のような中型空母を
 
より多く建造する方が
 
有効的だったような気がします。
 
 
 
空母飛龍
 
 
 
雲龍の建造が開始されたのは、1942年8月1日。
 
ミッドウェー海戦に於いて、
 
主力空母4隻を失った結果によるものです。
 
そのような状況下で、
 
雲龍型は飛龍を参考に改良を加えながら
 
1944年8月6日に完成しました。
 
起工から竣工まで約2年という早さです。
 
主な改良点は艦橋を左から右へ。
 
十二糎二八連装噴進砲、
 
機銃、電探の装備や防弾板の装着など、
 
ダメージコトロール能力の向上など。
 
 
 
飛龍(下)と比べてみましょう
艦橋の形状が少し違うけどよく似てますねぇ
 
 
 
雲龍は同時期に竣工した天城・葛城と共に
 
第三艦隊第一航空戦隊を編成しますが、
 
時期的にはマリアナ沖海戦が終わった後なので、
 
この艦隊を満たす航空機・搭乗員が欠乏し、
 
その補充の目処も立ってはいませんでした。
 
 
 
天城(上)と、葛城(下)
 
 
 
1944年10月、敵はフィリピンに来襲。
 
25日のエンガノ岬沖海戦で
 
空母瑞鶴・瑞鳳・千歳・千代田が沈み、
 
連合艦隊は有効な戦闘能力を喪失してしまいます。
 
 
 
 
 
 
比島戦線では特別攻撃隊の
 
編成・出撃が行われており
 
内地にいた雲龍は1944年12月10日、
 
特攻兵器桜花や震洋と
 
その運用部隊や補給物資多数を搭載し、
 
比島方面に向かいます。
 
しかし制空権・制海権を奪われた海域への
 
出撃は危険極まりなく、
 
予想通り12月19日16時35分、
 
敵潜レッドフィッシュの雷撃を受け2本が命中。
 
搭載していた桜花が誘爆し、
 
雲龍はわずか20分ほどで
 
艦首から沈没してしまいます。
 
 
 
レッドフィッシュ
 
 
 
雲龍沈没より先に、
 
11月28日横須賀を出港した空母信濃は
 
桜花50機を搭載し呉に向かったが、
 
敵潜アーチャーフィッシュの雷撃を受け
 
出港してわずか17時間後に沈んでしまいました。
 
 
 
 
 
 
ただ、同じく桜花58機を搭載した龍鳳の目的地は
 
ルソンから台湾へ変更となり
 
難を逃れたのが唯一の救いと言えます。
 
 
 
 
 
 
空母は敵機動部隊と対峙しこれを殲滅、
 
と言った本来の目的を達成できず、
 
輸送任務途中でその生涯を終えたことは
 
さぞ口惜しいことでしょう。
 
どの艦にしろ、せめて直接戦闘で
 
終わらせてあげたかったですね。
 
桜花を運んだ空母が2艦もやられるとは…。
 
な~んか切ないですねぇ。
 
 
 
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