1944年8月3日未明、テニアン島守備隊は残存兵力を以って突撃を敢行し、組織的戦闘が終了!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

グアムの戦いにおいて、初日の我軍の抵抗を排除し

 

内陸部への侵攻を開始し出した22日早朝、

 

敵は何とグアムへ増援をせずテニアンへも上がってきました。

 

 

 

 

 

 

サイパンとグアムの飛行場さえ押さえれば

 

B29の飛行基地は十分と思えるのですが、

 

テニアンを飛び石とせず

 

同島の飛行場さえも欲してるようです。

 

それだけのB29をマリアナ各島へ配備

 

しようとしてるのでしょうか?

 

敵の生産力恐るべし!!

 

 

 

 

 

 

敵は上陸作戦開始に当たり、周到な準備をします。

 

現地人からの情報収集や、航空写真によって

 

我軍の陣地等を解析し、作戦計画を練るのです。

 

 

 

テニアンではこれまでにない上陸作戦が展開されました。

 

それは島の南西部、テニアン港に対し100隻以上の

 

上陸用舟艇を接近させてのです。

 

しかしこれは陽動作戦で、本隊は島の北西部

 

チュルビーチに殺到したのです。

 

 

この意味は、現地からの情報不足と

 

航空写真では判明できなかった

 

我軍の砲陣地等にあえて砲撃させ

 

所在を確認する目的があったのかもしれません。

 

また上陸作戦を円滑に実行するため

 

島南部に上陸させると見せかけ

 

我軍が迎撃のため南下するのを待ち

 

兵力が低下した隙を狙ったのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

島の北西部に配備されていた部隊の大半は

 

敵上陸前の艦砲・空爆によりほぼ全滅状態。

 

海兵隊2個師団の大半がその日の内に上陸を果たします。

 

 

 

 

 

 

敵はここでも我軍の夜襲を警戒し、

 

迎撃態勢を整え待ち構えています。

 

予想通り24日深夜に夜襲が決行され

 

しかし各部隊歩調を合わせることが出来ず、

 

単独で攻撃に出たため多大なる犠牲を出し

 

残された少数の生存者は撤退していきました。

 

 

 

 

 

 

このように、マリアナ各島では

 

ほぼ同じパターンの攻撃を仕掛け

 

兵力の早期消耗につながっていきます。

 

 

 

テニアン島北部に海軍が建設した

 

牛飛行場(ハゴイ飛行場)がありました。

 

1944年6月に761空の陸攻隊が進出しましたが、

 

2月のトラック島空襲の次に敵機動部隊の

 

空襲を受け、陸攻隊は地上で壊滅。

 

 

 

 

 

 

その後進出した部隊も、6月のマリアナ侵攻の際の空襲と、

 

追撃に上がった攻撃隊もほぼ未帰還となり壊滅。

 

 

 

地上で破壊された彩雲

 

 

 

このように機動部隊・地上航空隊の歯車もかみ合わず

 

陸軍は増援も途絶え、苦戦に苦戦を強いられ

 

やがて南部のカロリナス高地に追い込まれ、

 

8月3日には組織的戦闘が終了してしまいます。

 

 

 

 

 

 

8月に入ると、敵が整備した飛行場から原爆を搭載した

 

B29が広島に向けて飛び立っていきます。

 

 

 

 

 

 

現在カロリナス高地には

 

7基の慰霊碑が建立されています。

 

 

 

 

太平洋戦没者慰霊平和塔

 

第四中隊慰霊碑

 

鎮魂不戦之碑

 

沖縄の塔

 

専習健児慰霊之塔

 

「魂」と彫られた慰霊碑

 

鳥居の慰霊碑

 

スーサイドクリフ

 

 

 

スーサイドクリフと言えば、

 

サイパン島の最北端のバンザイクリフを指す

 

場合が大半ですが、ここテニアンでも数多くの

 

在留邦人の方々が、ここから投身自決を図られた

 

悲しい歴史があることを忘れてはなりません。

 

 

 

 

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