私が死んだら、沖縄本島南端部の喜屋武岬沖に散骨して欲しいんやけど、現実はなかなか難しい!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

以前に記事にしたことがあるんですが、

 

ある年の当家一族による沖縄での慰霊祭終了後、

 

無理を言って御一行と摩文仁で別れ、魂魄の塔・

 

荒崎海岸と喜屋武岬に向かいました。

 

 

 

※各搭の説明は以前に行いましたので、ここでは省略

 

魂魄の塔

 

開南健児之塔

 

荒崎海岸(ひめゆり学徒散華の跡)

 

 

 

ここで花束を捧げ涙した後、

 

喜屋武岬に向かいました。

 

時刻はすでに夕刻。

 

 

 

 

 

 

私も奥さんも水平線に沈む夕日を直接見たことがないので、

 

ここでしばらく待機して水平線の夕日を見ることにしました。

 

最初にドライバーさんにここで夕日を見たいと告げた時、

 

あまりいい顔しなかったのですが、

 

その時はその意味が分かりませんでした。

 

 

 

1945年6月後半、ここ喜屋武岬周辺では
 
悲惨な光景が繰り返されました。
 
国吉陣地・与座・八重瀬岳陣地を結ぶ
 
最後の防衛ラインが突破され、
 
第62師団・ 歩兵第32連隊・ 第24師団
 
などは壊滅してしまいます。
 
北から退避してきた多くの避難民や残存兵が
 
この猫の額ほどの喜屋武地区に押し寄せてきます。
 
 
海上は敵艦艇で覆われ、
 
地上では敵がすぐそこまで来ています。
 
 
 
 
 
 
すでに自然壕は満杯の状態で、
 
数千にも及ぶ地上の人たちは進退窮まり
 
喜屋武岬から身を投じました。
 
 
 
西の具志川城跡から喜屋武岬を望む
 
追い詰められて、ここから身を投げた多数の遺体群
 
 
 
このような悲しい出来事のことなど忘れ、
 
二人夕景に見入ってました。
 
 

 

 

 

 

日が水平線に近づいたころ
 
ふと海面に目をやると、
 
数十の黒い点が見えます。
 
よく見ると人の頭のように見えます。

 

 

 

ドライバーさんを呼び「あれなんやろ?」と尋ねたら
 
ドライバーさんの顔がみるみる内にこわばり
 
「早くここから出ましょう!!」と促されました。
 
車に乗り込みいろいろ話を伺うと
 
ここは今でも自殺の名所で、
 
心霊の目撃情報も多くあるとか。
 
あの黒い影は戦後自殺された方の霊か、
 
もしくは戦争中に投身された方の
 
霊かもしれないとのこと。
 
夕暮れ以降はここには誰も近づかないそうです。
 
 
 

 

 

 

あの時のドライバーさんのお話が

 

どうも心の中にひっかかったまま忘れられないんです。

 

 

以前に「沖縄で心霊スポットをご存知ですか?」

 

と質問されたことがありましたが、

 

沖縄ではほぼ全土で戦闘が繰り広げられ

 

全土に渡り何十万と言う生命が失われています。

 

 

戦後“開発”の名のもとに、

 

数多くの壕の上に様々な建物が建ち、

 

あるいは道路拡張工事により出現した壕などは

 

取り壊されたりしています。

 

それもまともな発掘調査も行われずに

 

取り壊されたのも数多くあると聞きます。

 

 

 

2020・2021年に照屋の日本軍陣地壕で掘り出した

複数の遺骨 未だ多くの遺骨が地中に眠っています

 

遺骨の傍らには赤い花柄の弁当箱

 

道路拡張工事に伴い半分切り取られた嘉数テラガマ

 

南風原町津嘉山の津嘉山トンネル工事の際

第32軍司令部津嘉山壕が出現したが、

発掘の後壕は埋め戻されました

 

 

 

このようにいまだ収集されぬまま眠り続けてる

 

遺骨も多いので、霊など見える人にとっては

 

沖縄のどこに行っても見えるんと違いますか?

 

 

 

私たちが見た、あの喜屋武岬の魂たちは

 

戦後78年も経過しても未だ

 

鎮魂がなされてません。

 

ならば私が死す時、あの海で散骨を施してもらい、

 

微力ではあるが私があの魂たちを導き、

 

鎮めたいと考え出したんです。

 

 

これまで生きて来て、

 

数多くの心霊体験をしてきたことは

 

彼らを鎮めるためにあると、

 

その意義を見出した気がするんです。

 

 

 

当家一族の代々の墓は、

 

1945年の神戸大空襲の際、本家近くに

 

高射砲陣地が布陣してたこともあって

 

800kg~1トン爆弾を投下され、

 

(ふつう住宅街の爆撃には焼夷弾を使用)

 

菩提寺と共に爆砕されて以来

 

戦後本家が爆弾クレーターの周囲に散らばる

 

墓石のかけらを京都の東本願寺に持って行き

 

祖先の墓として祀っていただいてるだけで、

 

今更そんなとこに入ってもしゃあないと思てます。

 

 

 

 

 

 

ところが家族は猛反対!

 

その理由は渡航費用・現地での船のチャーター代

 

等々費用がめっちゃかかるし、めんどくさい!

 

 

体壊す前に糸満市を訪れ水葬が可能かどうか

 

尋ねたところ、あちこちの課を

 

たらい回しされた上で許可できないとの事。

 

理由は、海洋汚染につながるようなことは

 

許可できないらしい。

 

私の骨は海洋汚染を引き起こすほど汚れてるのか!?

 

私の遺体は火葬後、遺骨を細かく砕き

 

粉末状にしたのち喜屋武岬沖に

 

「オニはそと~~!」と

 

撒き散らす事がそないに問題なんやろか!?

 

 

地元の漁協の組合長さんを尋ねたところ

 

ろくに話も聞かずに門前払い。

 

 

私は墓などいらんから、私の魂を以って

 

彼らを鎮魂したいだけやのに……。

 

 

80年近くもさまよってる霊があそこに

 

おるっちゅうのに、

 

「死んだもんの霊のことなんぞしらん!!」

 

と言わんばかりの態度の人間ばっかしでした。

 

「ほなお前らが何とかしたらんかい!?」

 

と、声を大にして言いたいですね。

 

 

 

いつなるかわからんけど、

 

今度沖縄に渡航する時は

 

デニー知事に面会を申し込んで

 

県としての見解を聴いてみたいもんです。

 

 

 

 

 

 

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