1942年8月7日、敵は突如としてガダルカナル島に上陸。
これより泥沼の餓島攻防戦が始まります。
敵は我軍が建設した飛行場をいち早く占領。
航空隊を進出させました。
以降餓島に輸送する兵員・物資・食料は
敵の航空兵力によってことごとく妨害され、
餓島に上陸した最大2万名以上の兵員を
まかなう食料も届かず、飢えが友軍を襲います。
一木支隊進軍経路~イル川渡河戦
10月26日に行われた南太平洋海戦では、
我軍は空母翔鶴が大破、空母瑞鳳が中破の被害が出たが
敵の空母ホーネットを撃沈、エンタープライズを中破させ
一時的ではあるが太平洋における稼働空母数が0となりました。
これを受けてかどうかは定かではありませんが、
餓島より東の海域で伊号潜の行動が活発化します。
敵の輸送ルートは米豪シーレーンがあり、
餓島への増援はハワイからサモア~フィジー~
ニューカレドニア~バヌアツを経て餓島へ送られます。
日本海軍が餓島に飛行場を建設した理由は、
これらの中継基地を監視し、期を見て
叩くための前線基地の必要性からでした。
餓島の飛行場を失った今、この中継基地を
監視する任務は伊号潜にかかってきました。
伊号潜の巡潜型は甲・乙・丙をさらに細かく
分類されるのですが、その最大の特徴は
航空機(水偵)を1機搭載できることです。
搭載機は零式小型水上偵察機
組み立て開始から発進までの時間は10分強でした。
最高速こそ246km/hですが、
航続距離は882kmとかなりのもんです。
10月19日・30日、伊19搭載機が
ニューカレドニア島のヌーメアを飛行偵察
同日、伊31搭載機がフィジーのスバ飛行偵察
同日、伊31搭載機がサモアのバコバコ飛行偵察
この日を最後に伊号潜搭載機による
飛行偵察は行われていません。
翌日の12日~15日まで第三次ソロモン海戦が勃発し、
敵艦隊攻撃のためにそちらに
振り分けられたのかもしれませんね。
空襲を受ける戦艦比叡
ちなみに、海戦初日の12日には
レンネル島とサンクリストバル島の
間の海域で作戦行動中の伊22が
PBY カタリナに発見され、同機が投下した
爆雷4発で撃沈されてしまいました。