1942年11月初旬、伊号潜各艦は積極的に搭載機で航空偵察を敢行!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1942年8月7日、敵は突如としてガダルカナル島に上陸。

 

これより泥沼の餓島攻防戦が始まります。

 

 

敵は我軍が建設した飛行場をいち早く占領。

 

航空隊を進出させました。

 

以降餓島に輸送する兵員・物資・食料は

 

敵の航空兵力によってことごとく妨害され、

 

餓島に上陸した最大2万名以上の兵員を

 

まかなう食料も届かず、飢えが友軍を襲います。

 

 

 

一木支隊進軍経路~イル川渡河戦

 

 

 

10月26日に行われた南太平洋海戦では、

 

我軍は空母翔鶴が大破、空母瑞鳳が中破の被害が出たが

 

敵の空母ホーネットを撃沈、エンタープライズを中破させ

 

一時的ではあるが太平洋における稼働空母数が0となりました。

 

 

これを受けてかどうかは定かではありませんが、

 

餓島より東の海域で伊号潜の行動が活発化します。

 

 

敵の輸送ルートは米豪シーレーンがあり、

 

餓島への増援はハワイからサモア~フィジー~

 

ニューカレドニア~バヌアツを経て餓島へ送られます。

 

 

 

 

 

 

日本海軍が餓島に飛行場を建設した理由は、

 

これらの中継基地を監視し、期を見て

 

叩くための前線基地の必要性からでした。

 

 

餓島の飛行場を失った今、この中継基地を

 

監視する任務は伊号潜にかかってきました。

 

 

 

伊号潜の巡潜型は甲・乙・丙をさらに細かく

 

分類されるのですが、その最大の特徴は

 

航空機(水偵)を1機搭載できることです。

 

 

 

 

 

 

搭載機は零式小型水上偵察機

 

組み立て開始から発進までの時間は10分強でした。

 

 

 

 

 

 

最高速こそ246km/hですが、

 

航続距離は882kmとかなりのもんです。

 

 

 

 

 

 

10月19日・30日、伊19搭載機が

ニューカレドニア島のヌーメアを飛行偵察

 

2日、伊8搭載機がバヌアツのエフアテ島飛行偵察

 

4日、伊9搭載機がヌーメア飛行偵察

 

同日、伊31搭載機がフィジーのスバ飛行偵察

 

11日、伊7搭載機がサンタクルーズ諸島のバニコロ飛行偵察

 

同日、伊31搭載機がサモアのバコバコ飛行偵察

 

 

 

この日を最後に伊号潜搭載機による

 

飛行偵察は行われていません。

 

 

 

 

 

 

翌日の12日~15日まで第三次ソロモン海戦が勃発し、

 

敵艦隊攻撃のためにそちらに

 

振り分けられたのかもしれませんね。

 

 

 

 

空襲を受ける戦艦比叡

 

 

 

ちなみに、海戦初日の12日には

 

レンネル島とサンクリストバル島の

 

間の海域で作戦行動中の伊22が

 

PBY カタリナに発見され、同機が投下した

 

爆雷4発で撃沈されてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

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