1943年6月11日、積極的に甲標的を活用してきた伊24はキスカ島方面でやられたゾ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

伊24は、

1941年10月31日就役し

伊25とともに
 
第六艦隊第1潜水戦隊第4潜水隊を編成。
 
開戦時にはハワイ作戦に参加。

12月7日深夜、甲標的酒巻艇を発進させます。
 
 
 
 
 
 
 
しかし艇は転輪羅針儀が故障し、
 
湾内侵入予定時刻に間に合いません。
 
不幸にも艇は座礁してしまい
 
なおかつ駆逐艦ヘルムに発見され
 
砲撃されます。
 
 
 

 

至近弾の衝撃で魚雷発射管を損傷するが、
 
そのショックで離礁に成功。
 
その後も座礁・離礁を繰り返し
 
航行不能となり、搭乗員は脱出。

稲垣二曹は行方不明となり

酒巻少尉は浜辺で気絶し捕虜に。
 
 
 

 

1942年1月25日、

ミッドウェー島を砲撃するも反撃を喰らい退避。
 
 
 
 
 

1942年5月18日朝、伊22・伊24・伊27は、
 
トラックを出港し甲標的による
 
シドニー港攻撃に向かいました。
 

31日夕刻、
 
三隻はそれぞれ甲標的を発進させます。
 
 
 
 
 
 
 
伊27の中馬艇は、
 
港入口の防潜網に絡まり自爆。

伊24の八巻艇は湾内に侵入。
 
重巡シカゴを発見し魚雷を発射。
 
2本とも外れたが、1本は
 
宿泊艦クッタブルの艦底を通過して
 
岸壁に当たって爆発し、
 
その衝撃でクッタブルは沈没。
 
もう1本は岸に乗りあげ不発となり
 
敵に酸素魚雷の内容が露呈してしまう。
 
八巻艇はシカゴの反撃でその後沈没。
 
伊22の松尾艇は最後に侵入したため
 
敵の警戒網に引っかかり
 
爆雷攻撃を受け沈没。
 
 
 
大和ミュージアムに展示されている九五式魚雷
 
シカゴ
 
着底したクッタブル
 
 
 
 
 
一度内地に帰投後、今度は
 
ソロモン諸島周辺海域に進出。
 
11月15日、
 
甲標的を搭載してトラックを出港。
 
22日夜、エスペランス岬北西
 
14浬地点付近で迎艇を発進させます。
 
しかし甲標的はその後行方不明に。
 
ショートランドに戻り再び甲標的を搭載。
 
12月7日深夜、ルンガ岬付近で
 
辻艇を発進させます。
 
同日朝、辻艇は伊16から発進した
 
甲標的の雷撃で損傷し、
 
砂浜に擱座していた貨物輸送艦
 
アルチバを発見し雷撃。
 
これに損傷を与えています。
 
 
 
 
 
 
 
 
攻撃後反撃を喰らい、その後行方不明に。
 
トラックに戻った後ラバウルに進出し、
 
輸送任務に従事。
 
1943年3月6日に横須賀に帰投。
 
 
 
 
 
 
5月21日、呉を出港して幌筵に移動。
 
29日、幌筵を出港し第五艦隊参謀江本少佐らを
 
救助するためアッツ島に向かいました。
 
しかし江本少佐らは会合地点に現れず、
 
(守備隊は29日には全滅)
 
伊24はキスカ島に向かいます。
 

6月7日、キスカ島周辺海域には
 
多数の敵艦艇が存在することを報告。

幌筵へ帰投命令が出ます。
 

11日、敵の駆潜艇PC-487が
 
ソナーで伊24を発見。

潜望鏡深度の所を爆雷攻撃。
 
 
 
PC-487
 
 
 
急速潜航が間に合わないと判断した伊24は浮上。
 
砲撃戦に移ろうとしますが、

PC-487が伊24の甲板に乗り上げてしまいます。
 
PC-487は一度後退し伊24の
 
司令塔付近に体当たりし、
 
そのショックで伊24は横転。
 
そのまま沈んでいきました。
 
 
 
 
 
 
甲標的による数々の作戦を実施してきた
 
伊24のあっけない最期でした。
 
 
甲標的の運用はその後も続くため、
 
伊24からはその使用に関する
 
さまざまなデータを収集すれば
 
今後に活かされたかもしれんのに、
 
ホンマ残念ですねぇ。
 
 
 
 
 
 
 
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