2019年4月13-14日、祖父の足跡をたどって山口県大津島と広島県呉を散策の旅!!の巻 其之弐 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

最初の案内板まで戻り、

 

回天発射試験場に向かいます。

 
正面に見えるトンネルが
 
回天運搬用トンネルで、全長約250m。
 
 
 
 
 
 
回天を整備工場から訓練基地までトロッコで
 
運搬するときに使用されたトンネルです。
 
トロッコ用線路の跡が見て取れます。
 
トンネル中ほどに差し掛かると
 
光が差し込む所があり、
 
ここは空襲時の指揮所として
 
また通信所としての役割を担っていました。
 
 
 
空襲時指揮所
 
外に出てみると、回天発射試験場が間近に見えます
 
 
 
九三式酸素魚雷発射試験場の頃から回天基地に
 
移行した頃まではこのトンネルはなく、
 
海岸線の岩盤をくり抜きそこにレールを敷設し
 
運搬していました。
 
 
 
 
 
 
画像上の右端が元の運搬用通路で、
 
画像中では削岩して運搬路を
 
通した跡が良く分かります。
 
上空からだと運搬路のあった位置の
 
なごりが白い線となって
 
残ってるのがわかりますね。
 
 
トンネル中央部は複線化され
 
現代そこにパネルが展示されています。
 
 
 
 
この辺りまで来るといきなり音声ガイドが始まります
 
上の画像は大体この辺りの撮影ですね
 
この画像は画像下の左側辺りでぶら下げてますね
 
ちょうどその辺りにクレーン台座の跡が残ってます
 
この切れ込みは酸素魚雷発射口です
 
操縦訓練は5コースありレベルに応じて変更していきます
 
 
 
回天戦で発進した回天は49艇。
 
敵に与えた損害は撃沈3隻、撃破4隻。
 
余りにも悲惨な結果となりました。
 
 
 
 
伊36

伊44

伊47
 
伊48

伊53

伊56
 
伊58
 
伊165

伊361

伊363

伊367

伊370
 
 
 
上記の出撃した艦の艦長さんに
 
おじいの戦友がいたそうで、
 
それで時々ここを訪れたようです。
 
おじいは何を想いながら
 
これらを眺めていたのでしょうか。
 
 
そんなことを考えながら
 
海を見つめてたら時間が来てしまい、
 
フェリー乗り場に引き返さねばなりません。
 
 
 
 
 
 
 
旅はまだまだ序盤やのに早くも二人して
 
足を引きずりながら戻るありさま。
 
この先が思いやられる。
 
 
それでも万が一乗り遅れたら
 
との不安が足を前に出させたのか
 
予定より早く船着き場に到着。
 
フェリーはすでに来てるけど
 
出港にはまだ時間があるので
 
馬島待合所で待機。
 
 
 
 
出港10分前に乗船。定刻に馬島を離れる
 
 
 
船上から回天の頭部がかすかに見える。
 
これが見納めになるかもしれない
 
そう思うと感慨深いものがありました。
 
 
 
 
 
 
ここを初めて訪れたのはたしか中二の夏休み。
 
おじいに連れられてでした。
 
あれから11月の慰霊祭に参列させていただいたりと
 
7・8回は来てるだろか?
 
健康上の理由からもう来れないかもしれません。
 

今回整備工場跡の施設や魚雷見張所・展望広場
 
砲台跡など見ることは叶いませんでした。
 
それよりこれまで戦跡のみの訪問で、
 
島自体の良さを探訪することが
 
出来なかったのは少し寂しい気がします。
 
できれば島民の方と触れ合いたかったですね。
 
 
 
 
 
 
フェリーが徳山港に到着して
 
新幹線発車まで20分もなく
 
(健常者なら慌てる必要もないやろけど)
 
しびれてる左足に鞭打って
 
急いでホームに駆け上がる。
 
 
 
 
これで周南市ともおさらば
 
 
 
こだま744号で広島へ。
 
快速安芸路ライナーに乗り換え
 
次の訪問地呉へ。
 
 
電車が到着しドアが開くと同時に
 
駆け込み乗車しおばはん同士の
 
席の争奪戦が始まりよった。
 
ええ年こいてあさましい!!
 
 
 
 
 
 
体が不自由な人優先席へは10代の若者数名が占拠。
 
後から白髪の老人が乗り込んできても知らん顔。
 
いつもどこでも見かける光景ですね。
 
呉へは約30分で到着。
 
 
路線バスを利用し長迫公園(呉海軍墓地)へ向かいます。
 
 
其之参につづく。
 
 
其之参以降はテーマ『呉』の中にあります
 
 
 
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