1945年3月18-21日の九州沖航空戦の戦果誤認が、カナ304船団の全滅に繋がったゾ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1945年3月に入ると、比島戦線ではマニラが陥落。
 
硫黄島も奪われ、本土への空襲も激化します。
 
敵の次の目標は沖縄であり、
 
日本側もそれは察知していました。
 
 
敵は沖縄への戦力増強をさせぬため、
 
第58任務部隊を室戸岬沖
 
80キロの近海に接近させ、
 
各地に航空攻撃を行いました。
 
これに対し宇垣纏海軍中将率いる
 
第五航空艦隊が反撃を開始。
 
九州沖航空戦の幕開けです。
 
 
 
 
3月18日、特攻機による攻撃で
 
空母イントレピッド、ヨークタウン、エンタープライズが小破
 
 
3月19日、
 
出水基地第七六二航空隊・
 
攻撃406飛行隊所属の銀河1機が
 
空母「フランクリン」に250kg爆弾2発を命中させ、
 
大破に追い込みます。
 
 
 
他にもワスプが大破、エセックスは中破
 
敵は艦載機約350機で呉軍港を襲います
 
 
 
敵空母多数被弾の報を聞き、
 
これらの傷ついた機動部隊を追撃すべく、
 
神雷部隊の作戦参加が決定されます。
 
神雷部隊陸攻隊の指揮官は野中五郎少佐。
 
二・二六事件の首謀者の一人で自決した
 
野中四郎陸軍大尉の弟であります。
 
 
 
野中大尉は、神雷部隊による桜花攻撃の
 
成功率が極端に低いことを認識し、
 
「この槍使い難し」
 
「たとえ国賊とののしられても、
 
桜花作戦は司令部に断念させる」
 
と発言してるが、しかし宇垣中将は
 
「今の状況で桜花を使えないなら、使う時が無い」
 
として計画を強行します。
 
 
 
 
午前11時20分、神雷部隊は鹿屋基地を発進
 
 
 
攻撃隊は敵レーダーピケット艦に捕捉され、
 
空母ホーネット及びベローウッドのF6Fが迎撃。
 
 
当初神雷部隊の直援戦闘機は72機で計画されたが、
 
実際に出撃したのは55機。
 
しかもその内エンジン故障などで
 
25機が途中で引き返すありさま。
 
 
 
午後2時頃、攻撃隊にF6Fが襲い掛かる
 
 
 
18機の陸攻が全機撃墜されるのに
 
わずか20分程度だったそうです。
 
戦死160名(桜花15名、陸攻135名、戦闘10名)、戦果0
 
 
 
 
1944年10月12-16日に行われた台湾沖航空戦では、
 
轟撃沈 航空母艦11隻 戦艦2隻 巡洋艦3隻
 
巡洋艦若(もしく)は駆逐艦1隻
 
 
撃破 航空母艦8隻 戦艦2隻 巡洋艦4隻
 
巡洋艦若は駆逐艦1隻 艦種不詳13隻
 
撃墜 112機
 
との大本営発表を行っています。
 
しかし実際は重巡洋艦 2隻大破・航空機 89機
 
機動部隊は健在でした。
 
 
 
 
 
 
戦果誤認の原因の一つとして、
 
戦果確認機を飛ばせなかったこと
 
友軍期の墜落による黒煙を敵艦の
 
被弾による黒煙と誤認した
 
同一の黒煙を複数機から確認しており、
 
それを別々の敵艦と報告され、それを鵜呑みにした
 
(昭和19年10月頃の攻撃隊搭乗員の
 
練度を考慮に入れてなかった)
 
すでに日本側の暗号は
 
解読されていたなどが挙げられます。
 
 
 
敵機動部隊殲滅を信じ込んだ司令部は迎撃機が
 
上がって来ないとの判断から「これはしたり!」と
 
勇んで合計380機による昼間の攻撃に出ますが、
 
存在するはずのない敵空母の艦載機の迎撃を受け
 
244機が未帰還となってしまいます。
 
 
 
 
 
 
そしてあってはならないことが、
 
九州沖航空戦で再び起きてしまうんです。
 
フランクリンへの攻撃は銀河単機だったので、
 
戦果確認はありませんが
 
ワスプを大破させ、エセックスを
 
中破させたことは確認できています。
 
その上飛来した敵機を「剣」部隊の
 
紫電改が迎撃し、50機を撃墜したと報告。
 
 
 
 
 
 
第五航空艦隊が報告した敵艦撃滅数は
 
空母5・戦艦2・重巡1・軽巡2・不詳1
 
 
ここで敵機の出迎えは薄いと
 
判断し神雷部隊を投入。
 
全滅となるわけです。
 
 
また、敵艦隊は大打撃を受け後退するだろうとの
 
憶測から、沖縄への増援を決定します。
 
3月1日に沖縄へ向けて出港したカタ604船団は
 
その全てを沈められてるので、
 
次はなんとしても沖縄へ着きたいところ。
 
そこへ上記敵機動部隊撤退の報が入って来たので
 
「この好機を逃したらあかん!」と
 
カナ304船団を送り込みます。
 
しかし、今回も沈めたり撤退したはずの
 
空母機からの攻撃を受け、
 
23日にカナ101船団がやられ、
 
24日にはカナ304船団も血祭りにされてしまいます。
 
 
 
沈没寸前の水雷艇「友鶴」
 
 
 
この輸送失敗により、この後の沖縄の戦いで
 
日本側は苦戦を強いられることになってしまいます。
 
 
 
もはや戦力の格差・兵器の
 
能力の格差は如何ともしがたく、
 
連合艦隊は消滅し、空母は輸送任務に。
 
潜水艦はことごとくソナーで探知され撃沈されています。
 
航空隊は熟練搭乗員が稀少となり、大半は特攻へ。
 
その特攻の成功率はわずか10%台。
 
敵艦隊の陣営は、外枠にレーダーピケット艦を配し
 
早期航空警戒と迎撃戦闘機隊の誘導により、
 
特攻機を排除。
 
特攻機が敵空母に到達するのが至難の業となります。
 
敵駆逐艦に特攻機による犠牲が多いのは
 
その外枠の艦に突入したことによります。
 
敵迎撃機網を突破し、無数の対空砲火もすり抜け
 
空母に突入しても敵空母は
 
ダメージコントロールの確立により
 
その多くが沈没を免れています。
 
大本営の作戦計画は後手後手と回ってしまいました。
 
 
 
 
 
 
沖縄への増援を諦めた大本営は、
 
「沖縄は本土決戦の魁」と位置づけ
 
早々に見放してしまうのでした。
 
 
カナ304船団が沖縄に運ぼうとした
 
陸軍将兵は約1100人。
 
2個大隊ほどの兵力。
 
この数が沖縄に到達していれば、
 
牛島中将や八原高級参謀はいかに
 
使用したのでしょうねぇ?
 
それより、敵と一度も砲火を交えることなく
 
水く屍と散っていった皆さまは、
 
さぞ無念だったことでしょう。
 
それにしても、帝国海軍ともあろうものが、
 
正確な情報収集・分析・対抗策を行うどころか
 
過去の過ちを繰り返すなんぞ、
 
いったい何を考えていたのでしょう?
 
ただ無駄に将兵を死なせただけとしか思えん!
 
 
 
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