1943年11月5日、ラバウルは空襲されブーゲンビル島沖航空戦では戦果が挙がらん!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

餓島攻防戦で勝利を収めた敵は、
 
中部ソロモンに進出し
 
これを受け日本軍は10月初頭には

ニュージョージア島、コロンバンガラ島、
 
ベララベラ島から撤退し防衛線を下げました。
 
 
 
 

1942年10月26日の南太平洋海戦では
 
空母ホーネットを撃沈、エンタープライズを中破させ
 
一時的には空母戦力で優位に立ったものの、
 
 
 
空母ホーネットに急降下爆撃中の九九艦爆
 
サンタ・クルーズ沖で爆撃を受けるエンタープライズ
 


敵は中部ソロモンに進出した頃には

エセックス級、インディペンデンス級が
 
次々と竣工・配備され、南太平洋上において
 
敵空母はすでに存在しないと
 
たかをくくっていた連合艦隊は、

9月19日のレキシントン、プリンストン、
 
ベロー・ウッドによるギルバート諸島
 
への空襲に驚いています。
 
10月には伊号潜搭載水偵による真珠湾への航空偵察で
 
湾内に空母6停泊中の報告を受けていますが、
 
目前の脅威との認識をせず楽観視してしまいました。
 
 
しかしソロモン方面に進出してる第38任務群は
 
正規空母6、軽空母5を保有しており
 
すでに優位な状態にあることを
 
連合艦隊はまだ知りません…。
 
 
 
次々と竣工し、配備されるエセックス級正規空母
 
インディペンデンス級軽空母
 
 
 
11月1日、敵はブーゲンビル島の
 
タロキナに上陸を開始。
 
それを阻止しようと出撃した

連合襲撃部隊と第39任務部隊が交戦。
 

連合襲撃部隊は川内、初風を失い
 
逆上陸部隊も撤退し作戦は失敗。
 
 
敵はタロキナの基地建設を
 
盤石にするため、ラバウル空襲を計画。
 
 
ラバウルのシンプソン湾にはブーゲンビル島沖海戦から
 
帰投した艦船やろ号作戦発動に伴い
 
ラバウルに集結した重巡などが多く停泊していました。
 
 
 
 
 
 
そこへ忍び寄る敵空母の影。

サラトガ、プリンストンです。
 
 
 
 
 
 
 
中には5日早朝にラバウルに到着した艦艇もあり
 
湾内はひしめき合ってます。
 
 
敵空母は7時ころに稼働機約100機を発艦させ、
 
9時半頃にラバウル上空に到着。
 
 
 
 
 
 
空襲警報を受け基地航空隊の零戦・彗星が
 
迎撃に上がりますが、停泊中の艦船が次々に被弾。
 
 
 
 
 
 
艦載機の空襲は約15分で終わりましたが
 
その後B24が現れ、
 
輸送船や飛行場などに爆弾を投下していきました。
 
 
 
 
 
 
 
この空襲で重巡6他が被弾。
 
 
空襲が始まる前、
 
偵察機がラバウルを飛び立ちます。
 
偵察機はラバウルの南西海域で
 
輸送船を含む敵艦隊を発見。
 
空襲がやんだのち午後に攻撃隊が発進。
 
日没直後に敵艦隊を発見し、攻撃を仕掛けます。
 
 
 
 
 
 
大本営は翌日、大型空母1撃沈、中型空母1、
 
大型巡洋艦2、巡洋艦2隻撃破と発表。

 
実際はLCILと魚雷艇に魚雷が命中したが、
 
ともに沈没は免れています。
 
そのうえこの船団は
 
すでにタロキナへの輸送任務を終え、
 
帰投中のところを襲われたようです。
 
中身空っぽの船を攻撃したわけですね。
 
 

LCIL
 
 
 
この戦いの前後にラバウルへは各方面から
 
航空隊がかき集められ総数が約170機にも上り、
 
ラバウルではその壮観に安堵したというけど、
 
実際は南太平洋における敵の航空戦力の
 
1割程度だったそうです。
 
 
ここでも海軍の伝統的な“負の遺産”
 
戦果誤認が生じました。
 
 
これは終戦まで是正されることなく、
 
各戦いで墓穴を掘ることとなります。
 
 
 
 
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