1945年4月24日、嘉数防衛ラインは善戦するもついに各所で突破されてしもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

敵上陸以降、賀谷支隊の遅滞戦闘が終了し
 
戦線は嘉数防衛ラインに達しました。
 
4月5日、前進陣地の161.8高地が攻撃され、
 
嘉数正面では85高地が戦車を伴う
 
有力な敵の攻撃を受けました。
 
 
 
 
 
 
161.8高地
 
 
 
155高地が落ちた頃、
 
第32軍は大規模な攻勢を第62師団に命令しますが
 
2個大隊が全滅し、兵力の消耗に繋がってしまいました。
 
 
 

155高地

 
 

 

防衛ライン中央の我如古方面は、
 
142高地の攻防がキーポイントです。
 
この地区を統括するは、
 
独立歩兵第12大隊長賀谷中佐です。
 
 
 
142高地
 
 
 
 
敵は戦車・火焔戦車を伴い
 
攻撃を繰り返しますが、

 

友軍の砲兵、迫撃砲の支援火力が
 
有効打を放ち、都度撃退します。
 
 

 

 
 

 

敵は現、琉球大学周辺から142高地を
 
包囲しようと試みますが。
 
22日、戦線整理のため守備隊に後退命令が出、
 
その日の夜に守備隊は棚原方面に後退しました。
 
 

防衛ライン中央の我如古・西原高地では

 

142高地が未だ敵の手に落ちず
 
頑強に抵抗してるため、
 
敵が我如古の側面に回り込めず
 
正面突破と図るのみなので
 
臼砲・迫撃砲で押し戻しています。
 
 
 
我如古北側高地
 
我如古南側高地
 
 
 
しかし圧倒的な兵力の前に
 
次第に消耗していき、
 
後退を余儀なくされます。
 
 
19日には敵は西原高地頂上付近まで

進出してきます。
 
 
 
西原高地頂上付近
 
 
 

 

同日、嘉数方面では対戦車戦闘が
 
繰り広げられ、30輌の内22輌の戦車を破壊。
 
撃退するも戦力は大きく消耗。
 

 

20日、残された火砲により

 

西原方面に進出した敵に対し
 
支援砲撃を行います。
 

 

日本軍が正面の敵に対し応戦してる最中
 
敵は虚を突いて牧港で比屋良川を渡河し、

 

独歩第23大隊の側面を突こうとします。

 

 
 
 
牧港付近から見る嘉数西部70高地
 
 
 
敵の進出に伴い、退路遮断の危険が
 
生じたため、戦線整理もあって、
 
24日には防衛ライン後退の命令で
 
第一線部隊は嘉数、西原、棚原、
 
157高地などから部隊を撤退させました。
 
 

 

157高地
 
 
 
この戦いにおいて、
 
各高地の争奪戦が繰り広げられましたが、
 
反射面陣地からの砲撃は
 
各高地の弾着観測が頼りでした。
 
そこを次第に抑えられたので、
 
それまでのように的確な砲撃が困難となり
 
無駄玉が増え砲弾が底をついた小隊が出、
 
砲兵たちは切り込みに出かけるありさま。
 
敵の砲撃による砲兵陣地の崩壊もあり、
 
また総反撃の失敗による2個大隊の消耗、
 
これらの要因から敵を押し戻す戦力を
 
失い、24日の後退となりました。
 

 

一連の戦闘で嘉数方面の独歩第13大隊、
 
我如古・西原高地方面の独歩第14大隊、
 

南上原・和宇慶方面の独歩第11大隊は

 
頭が下がる程よく健闘されましたが
 
その戦力を大きく低下させ
 
戦線を前田を中心とする第2ラインまで下がり、
 
戦力の立て直しを図るのでした。
 
 
 
 
 
 
 
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