1944年3月12日、東松2号船団は東京湾を出港したら、翌日早速敵潜に狙われたゾ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

松輸送とは、1944年前半に行われた
 
中部太平洋方面への増援部隊輸送作戦のこと。
 
 
マリアナ諸島やカロリン諸島などの
 
防備を強化するため、満州等から
 
転用された地上部隊が送り込まれました。
 
 
東京湾を主幹とする関東各地の港から
 
父島ー(硫黄島)ーマリアナ諸島ートラック
 
を結ぶ航路を『東松船団』と呼び、
 
門司を主幹とする西日本各地の港から
 
那覇ー台湾(台北・高雄)ーパラオ諸島
 
を結ぶ航路を『西松船団』と呼びました。
 
 
 
 
 
 
2月17日-18日のトラック島空襲、
 
2月23日のマリアナ諸島空襲に
 
 
 
 
マリアナ諸島空襲における被害船
 
 
 
慌てた大本営は、急いで輸送計画を立てます。
 
連合艦隊・各部隊から艦船を抽出し
 
軽巡1・駆逐艦10・海防艦3・その他3
 
がかき集められました。
 
 
 
軽巡龍田
 
駆逐艦卯月
 
駆逐艦朝風
 
駆逐艦野分
 
駆逐艦夕凪
 
海防艦平戸
 
第20号掃海艇
 
敷設艇測天
 
特設掃海艇鳥島丸
 
 
 
輸送船にはサイパン島行が、
 
 
高岡丸
 
日美丸
 
安房丸
 
玉鉾丸
 
国陽丸
 
 
 
カロリン諸島・トラック島行には
 
 
対馬丸
 
 
 
あとらんちっく丸・第一眞盛丸等が参加しています。
 
 
 
対馬丸は1944年8月22日、
 
学童疎開輸送中に敵潜ボーフィンの
 
雷撃を受け沈没し、乗員・乗客(学童)
 
合わせて1476名が死亡したことで有名ですね。
 
 
東松1号船団は、3月1日に横浜を出発し、
 
甲船団は3月12日トラック着、
 
乙船団は3月14日トラックに到着しています。
 
 
東松2号船団は、3月12日に東京湾を出発。
 
しかし翌日の13日午前3時頃、
 
八丈島西南西74km付近で敵潜
 
サンドランスに発見されてしまいます。
 
 
 
 
 
 
サンドランスは今回の哨戒が初陣で
 
最初に千島列島に向かい
 
輸送船2隻を撃沈し南下してきました。
 
 
13日深夜、潜望鏡深度にまで浮上すると
 
そこは何と船団のど真ん中やったそうです。
 
(船団護衛の見張りは何をしとったんや!?)
 
 
そこでサンドランスは艦首発射管から
 
先頭の軽巡龍田と輸送船国陽丸に2本ずつ発射。
 
魚雷は龍田の右舷に1本命中。
 
国陽丸にも命中し、これが致命傷となって
 
2隻とも沈没してしまいました。
 
 
 
 
 
 
護衛の駆逐艦は16時間に渡り100発以上の
 
爆雷を投下したのに、サンドランスに
 
かすり傷一つ負わせることも出来ませんでした。
 
アクティブ・ソナーやヘッジホッグ等の
 
対潜兵器を持ち合わせていない
 
日本海軍はやみくもに爆雷投下するしか
 
無かったようですね。
 
逆ならば日本海軍潜水艦は一発で探知され
 
海の藻屑となっていたでしょう。
 
 
八丈島西方海域なんか、日本の庭先みたいな
 
もんやのに、出港してじきにやられてまうんは
 
さぞ無念やったでしょうね。
 
 
サンドランスは44日間の行動を終えて
 
意気揚々と真珠湾に帰っていきました。
 
 
 
 
 
 
初陣で4隻も沈めたサンドランスは
 
帰投後表彰状までもろたそうですよ。
 
 
船団の航空支援を担当した
 
館山海軍航空隊の哨戒機が
 
一度はサンドランスを発見し
 
攻撃を仕掛けたけど、
 
取り逃がしたのが痛かった。
 
 
 
 
 
 
2隻を失ったのは痛いけど
 
その後船団は無事にサイパンに到着。
 
またカロリン諸島やトラック島へ
 
向かう船も無事に到着し揚陸してます。
 
また帰路も内地に送る物資や人員も
 
敵の攻撃を受けることなく
 
4月1日に無事に東京湾に到着しました。
 
 
松輸送は5月19日サイパン着の
 
東松8号船団まで続きますが
 
のべ100隻以上の輸送船を投入し
 
被害はわずか3隻、
 
護衛艦の損失も2隻だけにとどまり
 
兵員・物資をサイパン島に
 
送ることに成功しました。
 
 
しかし船団の涙ぐましい努力も
 
この後に展開するサイパン島の戦いで
 
敵を追い落とすことは出来ず
 
7月9日には陥落してしまいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
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