ヘンダーソン飛行場砲撃に向かった戦艦比叡は、1942年11月13日返り討ちに合い沈んでしもた!! | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1942年10月13日、戦艦金剛、榛名を
 
主力とする第2次挺身攻撃隊が、
 
餓島ヘンダーソン飛行場に対し
 
夜間艦砲射撃を開始し、滑走路・
 
航空機に対して損害を与えました。
 
 
 
 
 
 
 
 

これまでヘンダーソン基地への
 
艦砲射撃は8回行われ7回が成功。
 
9回目の実施のため第十一戦隊の
 
比叡、霧島に白羽の矢が立ちます。
 
 

比叡

霧島
 
 

第十一戦隊・第十戦隊・第四水雷戦隊で構成する

挺身艦隊17隻が11月9日トラックを出撃。
 
 
日本艦隊の出撃を知った敵は
 
素早く艦隊をルンガ泊地に移動させ
 
待ち構えています。
 
 
艦隊が近づいてる間にラバウルやブナの基地から
 
航空隊が出撃し飛行場や泊地の艦船に
 
攻撃を仕掛けるが戦果は上がりません。
 
ところが報告では

重巡1、軽巡1撃沈、輸送船3炎上
 
と上がってきます。
 
 
 
撃墜された陸攻から上がる黒煙
 
 
 
敵兵力は半減したと確信した田中少将率いる
 
輸送船団と護衛艦隊は12日午後、ショートランドを出港。
 
 
ところがルンガ泊地には重巡サンフランシスコ以下
 
13隻の第67任務部隊第4群が健在です。
 
 

サンフランシスコ
 
 

挺身艦隊は事前の打ち合わせや
 
合同訓練を行ってない言わば寄せ集め艦隊なので
 
交戦した場合の艦隊行動に不安を抱えてます。
 

挺身艦隊はサボ島に近づくまでに天候不順に悩まされ、
 
到着が予定よりかなり遅れてます。
 
 
敵艦隊は最新式レーダーを搭載した
 
軽巡ヘレナが約25kmで挺身艦隊を発見。
 

先頭を航走する夕立から
 
敵艦隊発見の報告が入ります。
 
ここでミッドウェーと同じミスを犯してました。
 
敵艦隊はいないとたかをくくり
 
戦艦には飛行場砲撃用に
 
三式弾をすでに装填させてました。
 
艦船攻撃用は徹甲弾です。

阿部中将はそのまま射撃を命じました。
 
敵味方が入り乱れ、最接近した時には
 
約10mにまで近づいたそうです。
 
もういつぶつかってもおかしくない状況ですね。
 
 
 
 
 
 
比叡は最初に敵艦隊に探照灯を照射し、
 
アトランタに初弾を命中させたのですが、
 
敵の集中攻撃に合い、

50発以上の命中弾を浴びます。
 
特に艦尾喫水線付近に
 
巡洋艦主砲弾が貫通し、操舵不能に。

魚雷数本が命中しましたが大半が不発。
 
これは敵艦とに距離が近すぎて
 
魚雷の安全装置が外れる前に
 
命中したからだそうです。
 
 
※魚雷は発射直後の自爆により
 
母艦が損傷しないように一定距離航走してから

安全装置が外れるように設計されています。
 
それだけ近い距離で撃ち合ってたことですね。
 

比叡はボコボコにされながらも主砲や機関は健在で、
 
しかし操舵不能・通信不能でウロウロしだします。
 
ヨレヨレになりながらも敢闘精神は旺盛で、
 
敵巡洋艦を発見し主砲を撃ちまくってます。
 
 
比叡を何とかして帰投させよと懸命の復旧作業が
 
続けられましたが、夜が明けると
 
本来なら砲撃をしてたはずの
 
ヘンダーソン飛行場からの敵機が飛来し、
 
比叡に襲い掛かります。
 
 
F4FやSBDの攻撃はかろうじてかわしたものの

エスピリトゥサント島から飛来したB17の投下した
 
爆弾3発が命中。
 
 
 
 
 
 
 
そしてTBFの魚雷が命中。
 
 
 
 


機関室が全滅し午後総員退艦命令。
 
生存者を救助した駆逐艦5隻が
 
一度退避したが日没後雪風が
 
現場海域に戻るともうそこには
 
比叡の姿はありませんでした。
 

第十戦隊第6駆逐隊の暁は、

11月9日15時頃トラック泊地を出撃。
 
 
14日0150頃、
 
敵艦隊と遭遇した挺身艦隊は、
 
まず比叡が敵艦に探照灯を照射。
 
続いて暁も照射。
 
これにより敵艦隊の姿は浮かび上がりますが、
 
照射する側も敵の格好の的となり、
 
暁は集中砲火を浴び沈没。
 
 
 
 
 
 
最初に敵艦隊を発見した夕立は、

比叡の照射で浮かび上がった
 
敵艦に対し魚雷を発射。
 
両軍入り乱れての乱戦に
 
暗闇の中後続の春雨は追随して来ず、
 
夕立単艦で突入する羽目に。
 

敵艦隊の中央を突破して敵を混乱に陥れたけど、

探照灯で照射された後袋叩きにされ

航行不能となりました。

五月雨が救出に近寄った時には艦首を喪失し、
 
火災が発生し満身創痍でした。
 
自沈処分のため五月雨が砲撃するも
 
沈没を確認することなく離脱。
 
その後重巡ポートランドに発見され
 
砲撃を受け沈没していきました。
 
 
 
 
 
 
一方敵艦隊の軽巡アトランタは艦隊の前衛に位置し、

挺身艦隊を発見した時最前列の駆逐艦が
 
左へ転舵した際衝突を避けるため
 
回避行動を取った瞬間夕立と春雨に遭遇。
 
目前に迫っていた暁を照射し砲撃を開始、暁は大破。
 
しかし照射したことで存在位置が知られ、

比叡、長良の主砲弾が命中。
 
夜が明けたころには浮かんでるのがやっと。
 
味方艦に曳航されたけど、浸水が激しく
 
ルンガ岬西方沖で自沈処分されました。
 
 
 
 

 
軽巡ジュノーは、夕立に砲弾を命中させた後

天津風の魚雷が命中し航行不能。

海戦終了後、サンフランシスコ・へレナ
 
とともに帰投中、
 
伊26に発見され、サンフランシスコを狙った
 
魚雷が外れジュノーに命中。轟沈でした。
 
 
 
 
 
 
 
駆逐艦カッシングは、艦隊の先頭で航行し、
 
最初に命中弾を浴びます。

比叡に雷撃を行ったが外しました。
 
火災が強まり、弾薬が誘爆。
 
この炎は餓島からも視認できたそうです。
 
総員退艦の後沈没。
 
 
 
 
 
 
艦隊後衛に位置していた駆逐艦バートンは、
 
混戦になった際味方艦との衝突を避けるため

急停止したその時、天津風の魚雷が命中。
 
わずか数秒で轟沈。
 
 
 
 


バートンの後ろにいたモンセンは、
 
同じく魚雷が命中した後数発の着弾で沈没。
 
 
 
 

 
艦隊の先陣を切っていたラフィは、
 
乱戦の中比叡と遭遇。その距離はなんと約10m。
 
比叡の艦橋に主砲・副砲を撃ち込み、
 
比叡もまた副砲・高角砲で応戦。
 
離れたのち近距離にいた霧島に砲撃するも
 
霧島の副砲弾が多数着弾し、魚雷も命中。
 
長良の砲撃と重なってあえなく沈没。
 
 
 
 
 
 
夜が明け、戦闘が終わるころには
 
大破してヨレヨレの重巡ポートランドの近くには
 
コテンパンにやられた夕立・カッシング・モンセン・

ラフィ・アトランタ・少し離れたところに比叡が
 
まだ浮かんでました。
 
アトランタはこののち南下を始めますが
 
しばらくして自沈。
 
 
こうして日米双方とも統率が取れないままの
 
至近距離での乱戦で
 
犠牲を増やし引き上げていきました。
 
 
日本側は飛行場砲撃の目的を達せず
 
比叡・駆逐艦2を失い、
 
輸送部隊も引き上げてしまい
 
作戦は失敗に終わりました。
 
 
 
 
 
 
ヘンダーソン飛行場砲撃という
 
柳の下にドジョウは二匹もいなかった
 
ことに早く気付くべきでしたね。
 
早々に餓島に見切りをつけ
 
ソロモン西方で防備を固めていれば
 
もう少し意味のある戦いができたでしょうか。
 
 
 
 
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