大本営海軍部が震洋の使用を認可したのを記念し、震洋基地跡を訪ねてみた!!の巻 其之弐 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

鳥ノ巣平和公園は

 

今朝ホテルに向かう途中にあったので

 

来た道を一度戻ります。

 

水族館からは10分程度でしょうか。

 

 

 

 

 

 

鳥ノ巣平和公園は、本土決戦を見越して

 

終戦間際に震洋を配備された田辺嵐基地の

 

跡地を2015年に『鳥ノ巣平和公園』として

 

整備された、比較的新しい公園です。

 

 

 

震洋とは、海軍が開発・使用した特攻兵器で

 

トラックのエンジンを流用した小型のベニヤ板製

 

モーターボートの船内艇首部に爆薬を搭載し、

 

搭乗員が操縦して目標艦艇に

 

体当たり攻撃をする兵器のこと。

 

 

 

 

 

 

陸軍でも四式肉薄攻撃艇として採用し、

 

通称『マルレ』と呼ばれていました。

 

大本営は震洋とマルレを『マル八』として

 

統合運用することを決定します。

 

 

 

遊就館の震洋

 

 

 

1944年11月6日、大本営海軍部は南方軍に対し

 

比島方面で震洋隊の使用を認可。

 

同日、海軍に遅れること2週間、

 

第4航空軍が特攻隊の使用を開始。

 

12日、万朶隊がマニラ近郊の基地より出撃しています。

 

 

 

 

 

 

 

陸軍ではマルレ艇搭乗員の陸軍海上挺進戦隊を編成。

 

1945年初めルソン島リンガエン湾に進出してきた敵艦隊に対し、

 

海上挺進第12戦隊の数十隻のマルレが出撃。

 

LCI(M)-974、LCI(G)-365を撃沈、駆逐艦2隻・戦車揚陸艦3隻・

 

輸送船1隻を損傷させる戦果を挙げています。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後マル八は沖縄戦にも実戦投入され、

 

沖縄の第32軍の劣勢が伝えられると

 

本土決戦が現実味を帯び、各地にマル八の

 

秘匿基地が急増されていきます。

 

 

その中のひとつがここ鳥ノ巣平和公園です。

 

県道33号線のモスバーガー南紀白浜店横の

 

路地を入るとすぐに公園駐車場の看板があります。

 

 

 

 

 

 

ここに車を止め少し歩くと、平和公園を示す看板があり、

 

それに従って海沿いの小道を50mほど歩くと公園に到着です。

 

 

 

 

 

 

 

 

小さなプレハブ小屋があり、

 

資料館・休憩室の表示があります。

 

 

 

 

 

 

 

この横に当時震洋を格納した壕が

 

7ヶ所あったことを示す表示板がありました。

 

 

 

 

 

 

休憩所横とその右側のコの字の壕の入口は確認できます。

 

また休憩所横には鳥ノ巣平和公園の由来を記した

 

石碑がありその奥には震洋実物大レプリカを収納してる

 

壕が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この入口の右側の一段低いところに

 

表示板が示すコの字の右側入口がありました。

 

 

 

 

 

 

休憩所の裏側に三つ目の壕

 

 

 

この公園の前には入り江が広がり、

 

震洋をスムーズに浮かべることが出来そうです。

 

 

 

 

 

 

近寄ってみると、かなり朽ちてるコンクリや

 

レール跡が見えます。当時のものでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

マル八は終戦時には本土決戦に対する

 

備えとして4000隻近くが実戦配備されたけど、

 

田辺嵐基地には何隻配備されたのか

 

資料が見当たりません。

 

 

またこの公園の説明には震洋隊が配備された

 

との説明がありますが、

 

震洋隊は通し番号で第1震洋隊から

 

第147震洋隊まで開隊してますが、

 

この中に田辺嵐基地に配属された

 

震洋隊は見当たりません。

 

 

 

陸軍マルレ特攻隊員たちは、

 

広島県江田島・幸ノ浦の船舶練習部第10教育隊で

 

実戦訓練を受け各地に配属されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船舶練習部第10教育隊跡地に建立された

 

海上挺進戦隊戦没者慰霊碑に

 

海上挺進戦隊顕彰之記が明記されており

 

第三十一戦隊以下の一個戦隊が和歌山県に

 

展開したとあります。

 

 

私の勝手な推測ですが、ひょっとして

 

この一個戦隊が田辺嵐基地に配備された

 

部隊なのでは…。

 

 

手元にこの基地についての詳細なデータが

 

ないので、推測の域を脱せません。

 

 

 

1944年11月6日、大本営海軍部が震洋隊の

 

使用を認可したことを記念して、

 

今回この地を訪れました。

 

 

震洋隊基地は全国に114ヶ所作られました。

 

その大半は戦後埋め戻されましたが、

 

現存する壕が各地に何ヵ所かあります。

 

 

 

 

鹿児島県内には18ヶ所作られましたが

図はその中の一部です。

 

 

 

いつか機会があれば各地の震洋隊基地跡を

 

巡ってみたいものです。

 

 

 

第18震洋隊跡(加計呂麻島)

 

 

 

この後少し早い昼食に向かいます。

 

来た道を戻るのですが、現在は

 

このように遊歩道が整備されていますが

 

当時は一般人が往来できないように

 

道の整備はなされていませんでした。

 

隊員たちは小舟で往来してたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも御訪問戴きありがとうございます
ブログ村ランキングへの入口を
ここにも設けてみました
よろしければ応援のほどお願いいたします