最後の“菊水作戦”の戦果は、駆逐艦1杯沈めただけやった…の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

菊水作戦は、沖縄方面への進攻を

 
阻止すべく実施された特攻作戦。
 
作戦名の「菊水」は
 
楠木正成公の旗印に由来します。
 
作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から
 
第十号(6月21日-22日)まで。
 
 
 
 
 
 
沖縄海域での特攻作戦において、
 
海軍機は940機、
 
陸軍機は887機が特攻を実施し、
 
海軍では2045名、陸軍では1022名が
 
特攻により散華されました。
 
 
 
 
 
 
また特攻のほかにも、艦爆彗星・艦攻天山・
 
爆撃機銀河・飛龍・水偵瑞雲などを
 
使用した通常攻撃も参加しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
海軍の菊水作戦同様、
 
陸軍では航空総攻撃を行っていますが、
 
今回は菊水作戦のみの記述になります。
 
 
菊水一号作戦(4月6日~11日)
 
初日の海軍の作戦機は391機、
 
うち特攻機は215機。
 
連動し、戦艦大和以下第1遊撃部隊を
 
沖縄に突入させますが、
 
坊ノ沖で大和を始め多数が沈み惨敗。
 
 
 
 
 
 
ハンコックは大和艦隊への攻撃隊を発艦後、
 
爆装零戦の特攻機1機が命中、大破します。
 
 
 
 
4月11日、戦艦ミズーリを襲う爆戦
 
 
 
菊水二号作戦(4月12日~15日)
 
作戦機354機、
 
うち特攻機として海軍103機が出撃。
 
12日には陸攻8・桜花8による
 
第三回神雷桜花特別攻撃隊が出撃。
 
駆逐艦マナート・L・エベール撃沈。
 
同スタンレー大破。陸攻2機帰還。
 
マナート・L・エベールは沖縄戦において
 
桜花によって撃沈された唯一の艦です。
 
 
 
 
 
 
 
 
菊水三号作戦(4月16日~17日)
 
菊水作戦中、最大規模の出撃数。
 
作戦機415機、うち特攻機は176機。
 
 
 
イントレピッドは16日、1機が命中大破
 
 
 
21日~22日、特攻機を事前に破壊するため、
 
南九州各地の航空基地へ
 
サイパンからB29が飛来し空爆。
 
 
 
 
 
 
菊水四号作戦(4月21日~29日)
 
20日~22日に作戦機258機、うち特攻機26機
 
27日~30日は作戦機587機、うち特攻機100機
 
 
29日夜、照明を照らし病院船である
表示を示してるコンフォートに1機が突入
 
 
 
菊水五号作戦(5月3日~9日)
 
沖縄第32軍の嘉数第一防衛ラインへの総攻撃を受け
 
航空支援的意味合いを持つ。
 
1日~4日に作戦機449機、うち特攻機160機。
 
 
 
4日、被弾した英空母フォーミダブル
 
 
 
菊水六号作戦(5月11日~14日)
 
8日~11日に作戦機345機、うち特攻機86機。
 
11日、第58機動部隊の旗艦
 
バンカーヒルに特攻機2機が命中、大破。
 
 
 
 
 
 
5月14日、富安俊助中尉搭乗の特攻機
この後空母エンタープライズの飛行甲板に突入
 
 
 
富安機突入後大爆発を起こし、
 
前部エレベーターが吹き飛んでいる
 
 
 
 
 
 
菊水七号作戦(5月24日~25日)
 
23日~25日に作戦機387機、うち特攻機107機。
 
数隻を損傷させたのみに終わる。
 
24日には義烈空挺隊による中飛行場へ強襲。
 
 
 
菊水八号作戦(5月28日~29日)
 
26日~28日に作戦機217機、うち特攻機51機。
 
この頃になると敵は
 
レーダーピケット迎撃態勢を確立。
 
 
 
 
 
 
また日本軍においては特攻機が不足し出し、
 
練習機白菊等を投入。
 
白菊は28日に駆逐艦ドレクスラーを撃沈。
 
 
 
5月28日、串良で待機中の徳島第3白菊隊
 
ドレクスラー
 
 
 
菊水九号作戦(6月3日~7日)
 
1日~7日に作戦機367機、うち特攻機23機。
 
戦艦ミシシッピは1月6日にリンガエン湾で
 
特攻機の洗礼を受けたのに次ぎ、
 
6月5日に再び特攻機が突入。
 
 
7日ナトマ・ベイには
 
知覧から出撃した陸軍機が突入。
 
 
 
 
 
 
 
菊水十号作戦(6月21日~22日)
 
23日に第32軍司令官牛島中将が自決する前日まで
 
大規模な特攻作戦が行われたが、本次作戦をもって
 
菊水作戦は終了します。
 
 
16日~22日に作戦機271機、うち特攻機67機。
 
これだけの特攻機を繰り出しても、主だった戦果は
 
16日に駆逐艦トウィッグスを撃沈した程度でした。
 
 
 
トウィッグス
 
 
 
沖縄海域での特攻作戦に
 
出撃したのは陸海軍合わせて1827機。
 
そのうち133機が命中、122機が至近弾。
 
米軍の艦艇36隻を撃沈。
 
しかし空母・戦艦・巡洋艦を
 
沈めるには至らず、
 
突入成功率わずか15%。
 
 
 
 
 
 
はたして通常作戦を二の次にし、
 
特攻を第一作戦に起用した
 
意義はあったのでしょうか。
 
また、「死ね!」と命じた多くの
 
指揮官が生き残りました。
 
彼らは大西中将や宇垣中将のように
 
どうして責任をとらなかったのでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
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