場の空気は読みすぎるな!_ (930文字) | 快の健康日記

快の健康日記

「若々しさ」や「美しさ」、「健康」を維持していくための日々の行動や習慣を綴ったブログです。

こんにちは、快の院長戸田です。

 

こちら市川、今朝も安定した青空で強い陽射しが照りつけております。

 

関東地方は週末にかけて再び猛暑となるとの予想ですので、熱中症に厳重警戒…室温、水分補給などを意識し、快適な空間を維持しましょう。

 

引き続き、手洗いうがい、、換気、3密回避の行動もお忘れなく!

 

では、よろしくお願いします。

 

 

 

職場や仲間内での対人関係や集団の中において、話の内容や結果を予測して円滑に事を進めていかなければならないコミュニケーションのひとつに、「空気を読む」というものがあります。

 

逆に空気を読まない人は、その場の雰囲気にそぐわない内容の言葉や話の腰を折るといった行為を繰り返すことが多い。

 

そこにいる人達がどんなことを考えているか、どんな方向に結論を持っていきたいかを敏感に察知して発言や行動を考えるのは、日本人の美徳といってもよいかもしれません。

 

このような人は、細かな気遣いができる人として歓迎されることが多いもの。

 

 

 

しかし、また違った方向から見れば、空気を読むということは、自分の意見や考え方をいつも抑え込んでいるとも考えられる。

 

言いたいことがあっても、その場にそぐわないないようであれば発言しない───空気を読み過ぎると常に自分を抑え込む結果となってしまうのです。

 

従って、空気を読まない人の方がストレスをため込みにくいともいえるようですね。

 

そして、空気をあまり読まず自由奔放に振舞っている人のほうが、実は他人を思いやる気持ちが高かったりもするのです。

 

 

 

いずれにしても、空気を読む人というのは、他人への気遣いができる人であることは間違いない。

 

周りに気を使うことはよいことですが、空気を読み過ぎてしまうことで、返ってその場を窮屈なものにしてしまうということもあるのではないでしょうか。

 

つまり、ほどほどに空気を読む力と同時に、「意識的に空気を読まない力」も大事となってくるのです。

 

 

その場の空気を察知しつつ言いたいことを言いながらも、それに捉われず他人の意見も受け入れるといった柔軟な対応力。

 

それは単に空気を読むことよりも、はるかに高いコミュニケーション能力となるはずです。

 

 

今日も快の健康日記にお越しいただき、ありがとうございます。

 

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