中国の故事の話しです。
周の国に西伯という方がおられました。
あるとき、釣りをしている老人に出会いました。
その老人は呂尚。紀元前11世紀に活躍した周の有名な軍師で政治家でもありました。
のちに「太公望」とも呼ばれた人でです。
実は、呂尚は、釣りをしてうるのではなく、釣り真似をしているだけであったというのです。
なぜなら、彼の釣り竿には餌は付いてなく、そして針を川に入れてなかったそうです。
なぜそのような無駄なことをするのか訪ねました。
すると呂尚はこう語り出したというのです。
「釣りには3つの意味があるのです。
餌で魚を釣るのは、禄で人を召抱えるのに似ています。
釣られた魚は死んでしまいますが、召しかかえられた人が命を投げ出して仕えるのに似ています。
重臣の地位を餌にして人材を集めれば、どんな国でも取ることが出来ますし、諸侯の地位を餌にして人材を集めれば、天下でも取ることが出来ます。
しかしどんなに人材を集めても、その心をつかんでいなければ、逃げられてしまいます」
西伯「どうすれば人々の心をとらえることができるのですか?」と聞きました。
呂尚「天下を君主ひとりの物とせず、これを万民と分かち合うことです。
これを仁といいます。
困っている人を助け、苦しんでいる人を救うことを徳といいます。
人々と憂いも楽しみも同じくすることを義といいます。
これらに則った政治を行えば、おのずから天下の人々を帰服させることができるのです。」
この話しを聞いて、西伯は呂尚を師として迎えたそうです。
呂尚は魚を釣ることが目的ではなく、マネごとをすることで、川を見ながら、魚を見ながら
人の心、世の中のことを見通していたのですね。