「KABRI_43」砂漠と紅海 | 針金師フーテンの日々☆スイス・チューリッヒ・ニーダードルフ物語

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ヨーロッパでスイスはチューリッヒでの路上テキ屋物語、ドロップアウトした青春ストーリー

 
 


海はアカバ湾


砂漠と紅海。

最初の日、「KABRI」からひたすらバスは南に向かって走る。
ジェリコって名前のアラブ遺跡があった、もしかして「ジェリコの戦い」って、
ここの遺跡での出来事だったのかな……

グランド・キャニオンのような谷にも行きました。


 


歩き、食事を作り、バスに揺られ、一日目の夜10時頃か、エーラト近くに着く。
「KABRI」からひたすら南下し、5~600kmは来たのでしょうか、シナイ半島です。




砂漠の荒れ地です、バスは岩肌丸出しの地に駐めました、それから
みなでバスの屋根に積んであるキャンプ道具を下ろし、手分けして食事の準備です。

総勢50人位いますから、それら荷物も食料も鍋釜も、大変なキャンプ道具です。
夜の10時を回ってます、あたりは真っ暗、まず頼りになるのはバスのヘッドライト、
そして発電機のエンジンをかける、周りに明かりが灯った。


ラジカセを鳴らせ、キャンプファイヤーを焚け、野菜をきざめ、料理を仕込め。
手の空いてる者はたきぎを集めてこい、テーブルを作れ、ガスコンロを用意しろ。



この缶詰を開けろ……そんなで一時間も経たないうちに全ての用意が終わり、
夕食、それも終えてコーヒーまでフルコースである。
ほっと一息、その後、明日の予定と食器の洗う役、夜警の役が決められる。


キャンプファイヤーは夜警役の2人に見守られ、朝まで燃え続けます。

朝、6時起床。

朝食を終え、食器類、ナベ、コンロ、発電機、テーブル、各人の寝袋、荷物、
それら全てがバスの屋根に積まれ、出発は8時。

又、バスは南に向かう。
このときはラッキーでして、我々が行った次年にはシナイ半島はイスラエルから
エジプトに平和協定から返還さる時期で、それ以後は自由に入れなくなります。


エーラトの海中水族館、そしてアカバ湾は世界的にも有名な珊瑚礁やら熱帯魚の
きれいな海として穴場です、しかし政治情勢的に危険な海ということもある。

我々ボランティアが海中水族館やらで観光しているとき、今回、旅行のリーダー
であるモティはエーラトの街に食料を買出しに行った。

モティは25歳くらい、まだメンバーにはなっていない、こうしたイベントの結果が
メンバー審査に関わります。
ですので、彼としてもそれなりにイベントを成功させようと真剣です。

一緒にイベント全体を見渡す人間も来ておりまして、バスの運転手やら、
セキュリティの人間だったりします。
我々ボランティアとは話しませんけど、「KABRI」のメンバーですから偉いのです。

モティの下にはアディ(Adi)とオラーン(Oran)がついておりまして、
この2人は兵役中で今回の旅行団の護衛役ですからライフル銃を常に持っています。



イスラエルの兵隊は24時間、銃を身から放してはいけないようです。
休みで帰省しても、彼らの部屋に銃はあります、部屋から出るときは、勿論、
銃を肩に背負ってます。

エーラトから100kmは南下したか、今はエジプト領ですけどダハブ近くのビーチに、
海はアカバ湾(紅海)でしょう。

ビーチ近くの水場のあるところまでバスは行ったのですが、そこで砂に車輪をとられ
身動きが出来ない、ボランティア全員で押してはみたが、あがけばあがくほど、
車輪は砂に埋もれ、どうすることも出来なくなった、次ぐ朝、ブルトーザーを
頼もうと言うことで、今度はビーチサイドまで全部の荷物を100メートル位の距離、
皆で運ぶ、大変な作業だった。

キャンプ・ファイヤーも焚かれ、食事の用意です。
フライドポテトにサラダも作り、そしてスープがメッチャ塩辛い。
「誰が作ったのだー、このスープ!、アホ!」と檄が飛ぶ。

この夜、夜警は朝の5~6時が、私とアッチーの番でした、皿を洗うのも私の番でして、
何かと疲れた二日目の夜。



皆は、アカバ湾から聞こえる波の音を聞きながら、砂のベットに横たわり
静かに眠りに入ったようだ。

 

――つづく――