「KABRI_1」キブツ「KABRI」_1981年9月30日 | 針金師フーテンの日々☆スイス・チューリッヒ・ニーダードルフ物語

針金師フーテンの日々☆スイス・チューリッヒ・ニーダードルフ物語

ヨーロッパでスイスはチューリッヒでの路上テキ屋物語、ドロップアウトした青春ストーリー

1981年9月30日。

スイスのチューリッヒより、イスラエルのテルアビブに着いた。

テルアビブのユースホステルで、ボランティアを募集しているユースの
ことを知り、次ぐ日、田舎のそのユースホステルに行った。

そこでボランティアをさせてくれと、申し出たら、即、OK!

ドイツ人だったか、変なヤツと同室になり、他に客は誰も居ない。
彼に、「何をここで手伝うの?」と聞いたら庭の手入れと掃除をするのだと。
食事とか出してくれるの? いや自分で作るのです。
材料は何があるの? 卵と堅いパンしかないのです。

エー? なんか凄く陰気だナー……
これで生活するの? 
1日目は、まあ、今日は特別で、明日には何か材料を仕入れてくれるのだろう、
そんなに思っておりました、そして、真面目に仕事もした、しかし……

2日目、なにもあたらしい食材が用意されてない。
だけど、まあ、午後か夕方には、とおもって真面目に仕事をした。

3日目、同室のドイツ人が「お前、いつまでここにいるの?」と聞くから
ウーン、分からないけど、そのうちお客さんが来たりすれば楽しくなるかも。
彼いわく「ここには宿泊する客は来ないよ、3週間ここにいるけど、来た人間は
お前だけだヨ」

ガビーン! 何それ? ええ? 
食べるものは卵とパンしかない、死にはしないが、パンが喉に通りにくい、
スクランブル・エッグばっかしの食事で肌にジンマシンが出そう。

4日目の朝、荷物をまとめてそこを出た。
頭に来たナー、何がボランティア募集だ! 「この馬鹿野郎!」って
オーナーに怒鳴ったけど、まあ、煮ても焼いても食えないような顔の
変わり者のオーナーだった。

ああやって、ツーリストをだまして、タダで仕事をさせてるんだナー、と
そういうところに飛び込んで、庭の手入れやら掃除を真面目にする人間も
相当、アホーだな、と自分のアホさに恐れ入ってしまいました。

イスラエルに来た目的はキブツでのボランティア仕事を体験したくて
やってきたのです、その前にボランティアってどういうことなんだろうと、
ボランティアを募集しているユースに飛び込んで見たわけです。

だけどホントにひどいユースだった、あんなところに何日も居たら
気が狂う、イスラエルでの最初の体験がそんなだったので、ユダヤ人ってか
イスラエルの人間が信用できなくなって、何となく陰気だナー。

スイスを出るとき、いいキブツを教えてくれと、イスラエルの若者から
聞いたメモを持っていた、それにはレバノン国境に近い「KABRI」と書いてあり
そこまでのルートも教えてもらっていた。

キブツ「KABRI」に行ってみよう、しかし、とても不安でした。
そんな所に行って、また変な気の狂うような体験をさせられるのかと。

乗ったバスはひたすらレバノン国境方面に向かっていた。
こんな、地の果てまで来てしまって、俺は日本に帰れるのだろうか?
バスから眺める外の景色と言えば、ブッシュの茂る、荒れた砂漠地のように
見える、そしてどこにでも兵隊が居る。

なんだか乾ききった国だなー、と、一人落ち込みながらガタガタとバスに
揺られておりました。

 

 

――つづく――

 

 

 

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