針金師フーテンの日々☆スイス・チューリッヒ・ニーダードルフ物語

針金師フーテンの日々☆スイス・チューリッヒ・ニーダードルフ物語

ヨーロッパでスイスはチューリッヒでの路上テキ屋物語、ドロップアウトした青春ストーリー

 

 


建築中の校舎


利益追求集団。

キブツ「KABRI」のメンバーにはその年に利益が出た分の配当がなされます。
個々のメンバーに支給される毎月給料もあり、年間利益からの配当もあります。

我々社会の、会社からもらう給料と、その会社の株主となって配当金をもらう、
金額はさておいて、給料と配当金のその両方で利益配分がなされる組織なのです。

配当金のほうは、イスラエルの金でなく、金地金として各々のメンバー保有量と
され、管理されます。

万一の出来事が起こったとしても、それでメンバー個々の資産は守れます。
しかし、ここでで生活している日々には、その金を必要とする時はありません、
年数が経てば、そうした個人の資産は貯めようと意識せずとも増えていきます。

子供達にも年間いくらかのお小遣いが支給されます。
17歳のロナンの場合、年間400チェッケル(6000円)
15歳のヨシ場合200チェッケル(3000円)です。
ボランティアの1ヶ月の収入が250チェッケル(3750円)ですので、
一年間のお小遣いとすれば、少ないです。

ボランティアの場合、ここで生活するに、お酒や、タバコも、その他、ボールペン
ノート、菓子と多少必要ですが、メンバーの場合、売店での買い物は自分のカードに
レジで書き込んでもらえばOKです。
ですので、キブツ内にいれば現金は必要ありません。
子供達も必要な物は全て支給してもらえますので、現金は必要ありません。

先日のバーベキュウみたく、外で買ったお肉のお金は親が出しております。
ロナンのウォークマンにしろ、部屋にあるテレビにしろ、親に買ってもらいます。
オフェールの持っている、ステレオやLPも親が現金を出しております。

では子供達がもらう、年間のお小遣いはどうするか、全て貯金させます。
その子供の貯金額でおおよそ何年キブツ「KABRI」にいるか分かるのが面白いです。

それら子供の貯金もイスラエルのチェッケルではなく、金地金の重さで表させる
そうです、年間に3000円くらいですから、一年で1グラムずつくらい増えるのでしょう。

「僕は金を4.25g持っているんだ、ここに来て4年経ったけど、僕がここに来た頃は
金が安かったんだ」ってそんな会話も15歳で出来てしまうわけです。
だから、子供達は金のレートとか、インフレとか、どうなると金は目減りするとか
難しい事を、よく知ってます。

たとえ、少額であろうが、子供達、各々自分の金地金ですから。

自分の金地金はどの様に保管されているか、それも子供達としては知りたいです、
勿論です、自分の金地金ですから心配です。

心配だと言うことは、知りたいということであります、知りたい子供に質問され、
教える先生は楽しいでしょうネ。

世界経済の基本は金価格、ってわけでしょうか、実経済の早期教育システムです。

キブツ「KABRI」は学校も持っていますが学校法人ではありません。
NPO法人でも宗教法人でもない、株式会社でもありませんが利益追求集団です。


明日から12月、そして明後日からボランティア全員の旅行です。
シナイ半島と死海、三泊四日の旅行……楽しみ~。

 

 

――つづく――

 

 

 私の「キブツKABRI_滞在記」も、

終盤に入ってきております。

 

私が言うのもおこがましいのですが、

イスラエルの「キブツ」に関して

彼らと深くホンネの部分で過ごした体験は、

少ないかと思います。

ユダヤ人的思考回路、そんなのを感じますか?

 

私は、スイスにも長かったので、スイス人的思考とか、

アメリカ西海岸も2年ほど住んでいたので、

アメリカ人的思考は分かるように思います。

 

一般的な、旅行、あるいは体験記ですと、

表面的な楽しかった、英語の勉強になった、友達が出来た、

いろいろな場所に連れて行ってもらえた。

そんな経験談がほとんどかなと思うのです。

 

そんな意味で、ここで書いた「キブツKABRI_滞在記」

あなたが世界の文化を体験、外国語を学び、海外旅行に、

あるいは海外長期滞在した時など、ふと感じる、

文化ギャップのようなものを知る、そんな

一つの手がかりになるなら、とても嬉しいです。

 

日本は周りを海に囲まれ、そして歴史的にも海外から

侵略された経験もなく、世界でも希に見る平和国家です。

 

しかし世界では、人種的、宗教的、文化的な軋轢から

争いに発展することも、多々起こります。

 

我々日本人、単一人種、単一宗教、単一文化の立場では

理解できない世界情勢の一端、それら原因の一端は、 

単一宗教:日本人の場合、欧米人の宗教感と違い、

概ね日本教的宗教感(冠婚葬祭に特化した無宗教感)

なのかなと感じる単一宗教という意味です。

人種的、宗教的、文化的、歴史的な背景を含んでいるもので、

そんなことを頭の片隅において読んでもらえたならば、

私の「キブツKABRI_滞在記」はピリッと辛い、

その辛さで、世界を理解する手助けになれたら嬉しいです。