普段、着物で家事育児してます☆ミ

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殆ど毎日着物を着ています。家事・育児・仕事にも着物で行きます。着物生活の悲喜交々や自分の趣味に奔走する日記。

ほとんど毎日着物で暮らしています。家事・育児・仕事、着物で勤しんでいます。趣味はお針仕事(お針遊びか?)とごにょごにょです。小説を書いています。たまに腐っています。訪問着、お召し、なにそれ織り やら なにそれ染め やら、どこそこの帯締めやら、どこそこさんの草履やら、なんつー贅沢な着物生活は羨ましがるだけのこのブログは素敵なコーディネートブログとは一線を画す「普段着の」「普段着による」「普段着のための」ブログです。(涙)


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→ メモ 着物系記事、付箋的もくじ update : Feb.12,2020




プロポーズ、しましたか?

あるいは、されましたか?

あるいはそのような世迷言…。

あるいは遠すぎる昔すぎて忘れすぎた。(すぎすぎ)

 

プロポーズもいろいろあってさ、「結婚してください」みたいなシンプルなやつだとか、「え?それ、プロポーズだったん?」みたいな変化球とかいろいろあるけども。

私が聞いた中で一番印象に残っているのはね

 

「キミは砂漠の中で見つけたダイヤモンドだ」

 

っていうやつね。

私が言われたわけじゃないのよ。
知り合いのある人へのプロポーズのことばだったんだけど。
どうかな?言われたら、嬉しい?

 

そんなことあるわけないじゃんって思いながらもそういうロマンチックな言葉が欲しい乙女な部分というのは女性なら誰しも持っているのだろうか。あるいはそういう時期があるのか。それが少女漫画とか韓流ドラマとかが愛される理由というか。

 

 

始まりはこんな感じで、腐れ記事です。

 

早速始めますので苦手な人はブラウザーを閉じてください。

もっと詳しく言うと、BLとかやおいとか薄い本とかそれ系の話題が苦手な人、または今私が何を言っているか分からない人ももしかしたら今日はもうブラウザーを閉じてください。

御協力ありがとうございます。

 

以前も【腐】記事のどこかに書いたんだけれども、というか何なら複数回書いていると思うのだが、っていうか先週も書いたんだけど…www とにかく、攻めさんの大事な資質として「執着攻め」というのがあります。

執 着 攻 め。

いいかー、ここ、テストに出すからなー。

 

 

大体の攻めさんは執着してなんぼですよ、みんな大好き「恋する暴君」の森永くんしかり、あたし大好きじえおみの慈英くんしかり。

情報が古い気はしていますが、文学でも古典というか長く愛されている作品というのは普通に大事ですよ。

 

でね、BL作家さんていうよりは、作家さん(BL表現含みます) っていうカテゴリーが私の中ではあるのだけれども、かわい有美子先生という作家さんがいらっしゃいます。穏やかな筆でとても美しい物語を紡ぐ作家さんで、一幅の水彩画のような作品を書く先生です。

ハードボイルドなものもあるし、ミニシアター系のような作品もあるし、純文学系っぽい感じもあるし、いろんな作品があるけれども、私が繰り返し読んでしまうのはやはり何冊かあって、その一冊(というか一組)に、「いとし、いとしという心」という作品があります。

これもだいぶ古い作品じゃないかと思う。

 

 

 

 

ご訪問ありがとうございます。
「いいね」やコメント、とても励まされています。いつもありがとうございます。

 

いとしいとしというこころ、といえば、私は藤娘を思い出すんですが、これはひらがなで縦書きに書くと藤の花の房のように見えるという。

 

 

で、この作品「いとし、いとしという心」のいとしいとし・・・は続編の<2>で都都逸が出て来るのですが、恋という旧漢字「戀」のことで糸(し)糸(しと)言(う)心、と。

 

一作目が人気だったので続編が出たのだと思うのですが、一作目ではこの都都逸の部分は出てこなくて、一作目単体で読むとこのタイトルは攻めさんの受けさんに対する、そして受けさんの初恋の人に対する恋心の健気さを表現している言葉だと思います。なんというか二人とも本当に健気に、今時いないよなあっていうピュアさの恋を抱いている。

けれどもそれが捩じくれてしまって。

そのなんというか複雑さとか、古くさいまでの気持ち、が旧漢字の「戀」なんだろうなと。

 

 

まずはとりあえず、あらすじ。

 

▼京都の老舗旅館「井筒」の主人が亡くなるところから物語がスタート。「井筒」の隣で紙司(紙ものを扱うお店)「兎月」を商う家の侑央(ゆきひろ)は幼いころからずっとこの井筒の当主であった人(井筒の長男)を慕っていた。

「井筒」の次男、千秋は大学から京都を離れ東京で銀行に勤めていたが、この度帰ってきて「井筒」を継ぐように言われ、こんな古くさい旅館うっぱらっちまえばいい!と言って東京へ戻ろうとしている。

 旅館としては後継ぎの長男がいて次が女の子ならありがたかったけど・・・と、次男の千秋は「井筒」ではいつも蔑ろにされ続けていたため、千秋としてはいまさら旅館を継げと言われても・・・。

 それに千秋には京都を離れ、東京へ行ったもっと大きな理由もあった。

 

千秋はずっとゆきひろのことが好きで、ゆきひろの兄に対する気持ちも知ってて、とうとう高校最後の年にはゆきひろの気持ちを脅迫材料にして力づくで・・・という経緯があったからだ。

 

何百年と続く老舗の旅館を継ぐ継がないでもめる「井筒」。幼馴染で幼い頃から千秋と仲が良かったゆきひろは、井筒の先々代の女将でまだまだ実権を握っている千秋の祖母や周りの人から千秋を説得してくれるように頼まれ、ゆきひろも千秋に対して思うところはあるものの「井筒」を継いでくれるようになんとか説得してみようとする。

 

そしたらほら、予想がつくとは思うけれども。

千秋さんは「ええで、考えたるわ」と。

「ユキちゃんがボクのもんになってくれんなら」という交換条件ですわ。

 

千秋さんのこの「ユキちゃん」「ボク」っていうのがクセモノなんですよ。この人は、ゆきひろが自分の兄に恋慕してるって気がついて、祖母、両親、世間の誰もかれもができすぎた長男を愛していて、そんなことくらいはいい、だけど、ゆきちゃんまでなんで??ゆきちゃんまでアニキなの?って、お兄さんになろうとしたわけでもないのだろうけれども、声がそっくりな兄弟で、話し方もお兄さんに寄せて、一人称も「俺」じゃなくて「ボク」にしたんです。

 

そのお兄さんにそっくりな声で、かつてゆきひろに「目ぇ、閉じとき・・・」って迫ったわけ。

 

ね。

まぁまぁ、ひどいよね。

これ、ちょっとした犯罪ですもんねって思うんですけど、やはりそこはさ、ゆきひろちゃんだって千秋さんを憎からず思ってる(はず)というのが大前提だし、まあね、BLはファンタジーなので。← すぐそれ。

 

 

んで、この小説の最大萌えポイントはもちろん京ことばでっせ。←
 

 

ある作品を何度も読んでしまう、そういう時ってある特定の部分を読み返したくてその部分を堪能するために全体を読む、みたいなとこないですか?

もちろんそうではなくて全体的に何度も読み返したいときもあるんですけれども、私の場合ずっと手元に置いておいて何度も読み返す作品っていうのはたいがい何度も読み返したいシーンがあって、そのシーンを十分に盛り上げて読むために最初から読む、そして最後まで読む、ということが多いかなと思うんですよね。

だからお気に入りの作品の「このシーン」というのは一冊一冊にココです、って言える部分がある気がします。

「いとしいとしと…」の場合は、<2>の、高校生の時の二人の最後の部分です。

ざっくりしたあらすじ内にも書いたんですが、千秋は大学から東京に行くんですね、大好きで大好きで大好きでね、ほんとにひどい手を使ってユキちゃんを自分のモノにしたろう!と、おにいさんにそっくりな声でユキを誘惑してね。でもかたくなにこちらを見てくれないユキちゃん、見てくれないっていうよりももうなんか当たり前な話千秋を怖がっている訳ですしね。

それで最後に東京へ行く日、登校するユキヒロを、どの道をどれくらいの時間で行くってわかっている千秋がね、バスにのってバスの中から彼を見送るんですね。バスの中から見送るっていうの、それ?って感じなんだけど。

見守りながら京ことばでね、

「遅刻するで、ユキちゃん。」

「バイバイな、ユキちゃん、もう放したるわ・・・」

って心の中でユキちゃんに話しかけるんです。

 

何度読んでも泣いちゃう。

「あきらめないで」って、ページを繰りながら私が千秋にね、言っちゃう。

 

この<2>の高校生編っていうのは、ふたりの始まりのお話なわけだけど、読者は<1>から読んでいて、大人になった千秋とユキヒロがなんとなくではあるけどたぶんうまく行くんだねっていう匂いの中で終わるので、<2>を読んでいるときには彼らの未来を知っている訳よ。てか、むしろ何度も読んでいるんだからもちろん<2>の後半、現在の(大人である)ふたりのその後も読んでて二人が恋人同士になる結末も知っている訳。

 

でもね、このバスの中から白い息を吐いて小走りしているユキちゃんを見守る千秋の「ばいばい。」がね、切なくて。

笑っていてほしかっただけなのに、笑わなくなったユキちゃんをもう逃がしてやったら、また笑うようになるだろうか、でも、自分はもうその笑顔を見ることはないんだろうなって思いながらね、「バイバイ、ユキちゃん」って心のなかでね、それはユキちゃんへのバイバイだけじゃないんだよね、自分がずっと好きだった気持ちとか自分がこれまで井筒屋でないがしろにされながら生きてきた半生とか、なにもかもを棄てて行くっていう覚悟というか。

何度読んでも切なくて。

 

千秋にしてみたらこのバスでなにもかも棄てたんだよね。

家から大事にされてこなかった鬱屈した気持ちも、ユキヒロへの気持ちも、なにもかもね。

ところが長男が亡くなったことで急に棄ててきたはずのなにもかもを押し付けられることになる。

それと同時に東京に行ってからもずっと忘れられなかった人の近くにいることを自分に許してもいいということでもある。

傷つけてしまったことを忘れたわけじゃない、だから今度は焦らないでちゃんと伝えて行こうと決めて。

そこで千秋がね、ユキヒロにいうのね

「ユキちゃん、ユキちゃんが望むなら、ボク、月かてとってきたるやんか」

 

だけどね、この時ユキヒロは素直に聞けないんだよね。

壮さん(長男)の声で自分を誘い込んで、そんで誘われる自分も汚いし、ってなんかこう心をかたくなに閉じているから千秋の本心からの言葉にも耳を傾けられない。というか、千秋の声をもう聴きたくない(壮さんの声だから)。

 

思うんですけど、やはりこれはさ、京ことばだからいいんだよねって思うのよね。

ここを東京弁にしちゃうといかにも気障にならない?

「月だってとってきてやるぜ」

とか。
「ぜ」か、「ぜ」がだめか。

「月だってとってきてやるよ」

とか。

だから冒頭の「君は砂漠で見つけた…」の一文も京ことばになおして

「ユキちゃんはボクが砂漠で見つけたダイヤモンドやさかいに」

ってすると妙に素敵になる気がしませんか?

・・・知らんけど。

 

え?

どっちでもいい?

そうね、いい声で言われたら、結局どっちでもいいのかもしれないけどね。

 

さて、いじらしく思い続けていた千秋の気持ちは最後にはちゃんとユキヒロに届きます。

小さな一つ一つの出来事の中に千秋がユキヒロを思う気持ちが表れていて、それはいつも本気で彼を思っているからこそで、ユキヒロも千秋が本気であること、本当はずっと昔から自分を思っていてくれたことに気づき始めます

「戀」─いとし、いとしというこころ、この旧字の恋という字が出てくるちょっとしたエピソードもその一つです

 

ユキヒロの家は紙もの屋さんで、バレンタインが近いあるときにお店の販促用というのかな色紙に文字を書いています。百人一首の平兼盛、「しのぶれど色に出にけりわが恋はものやおもふと人のとふまで」と、筆で何度も書いてみるんだけど色っぽい文字が書けずに半紙に何回も練習している。そこに千秋がやってきて「なにしてるの?」と。ユキヒロのおかあさんが「こんなんなんやうまいことかかれへんで、この子は」と、「そうや、千秋ちゃん、ちょっとおしえたって。もちっと色っぽく書かれへんのか」ってことで、千秋が筆をもって書くのね、その時に

「恋という字を旧字の戀してみたらええかもしれんね」って書いてくれるんだけどその字が素敵なので、千秋ちゃんの字で色紙書いてもらえないだろうかと頼む。その時に千秋が「ええけど、そのかわりにこれ、もらっていっていいか?」ってユキヒロが書いた練習の半紙を丁寧にたたんで懐(ふところ)に入れる。(千秋は旅館を引き継いだので仕事の時は着物を着ている)
自分が上手に書けなかったものなのに大事そうに紙をたたんで懐に入れる姿を見てちょっと気持ちが揺らぐというシーンね。

 

千秋はもともとひねくれているところのある人だから、そりゃまあ意地の悪いところもあるんですよ。あまりに頑なだったりちょっと調子にのってこのまま幼馴染でいようとするユキヒロの気持ちをみてとるとちょっと悪いやつになったりもするんだけど、そこもBでLな攻めさんとしては素敵な欠点ですよね。

今日は私が大好きな、かわい有美子先生の「いとし、いとしという心」を語らせて頂きました

今回のポイントは

・ 京ことばは気障なセリフを言うのにもっともすぐれた言語です

・ いい声なら京ことばでも標準語でもいいのかもしれません

・ 千秋は三大攻めさんに入れていいと思います

 

以上です

 

よし!

 

「ボク、砂漠のダイヤモンドかてとってきたるやんか」

小奈津

 

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