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普段、着物で家事育児してます☆ミ

殆ど毎日着物を着ています。家事・育児・仕事にも着物で行きます。着物生活の悲喜交々や自分の趣味に奔走する日記。

「キモノ界隈の一軍と彼女たちのキモノ(1)」または線引きの話

 

白衿白足袋族という表現があるらしい。単に白足袋族ともいうのかもしれない。都(みやこ)の言葉で、僧侶や旦那衆(だんなしゅ)、それから花街の人やそのあたりの関係者を指していて、もう少しいうとそういう都の政治やら経済やらの裏の権威者というかそういう人たちを指している言葉のようだ。

私にはご縁のない世界なのでようわからしまへんけど(唐突な京ことば)

そういう意味での使い方はようわからしまへんけど(二度目)、白襟・白足袋、というのはつまりとても保守的な伝統にかなった着物の着方をする人々を指しているわけでしょ?と、そういう意味では、まあ、私としては「目指すところ」という感じもしている。

 

それから、着物警察、という言葉がある。それこそは白衿白足袋族の十手持ちと言ってよいのではないか。自分たちが「正しい」と思う着物の着姿を掲げて十手をふるう人々。


着物もだけど、昨今の「礼法、マナー」の先生とかも、なんだか、ね…っていう人がいて、私なんかはもう、なんかようわからしまへんけど(三回目)…

 

中高時代に、みんな経験があると思うけど、正しい制服の着方というのが当然あって、スカートの丈は膝が隠れること、ソックスは三つ折りとか膝までのハイソックス、とか。だけど、だいたいクラスの一軍の子たちは、スカート丈がめっちゃ短かったり、ソックスがルーズソックスだったりニーハイだったりした。髪も、パーマネント(!)は禁止、制服の衿についたら結ぶこと、って言われていたってピアスをした耳を隠してパーマの髪をキュウキュウにみつあみにしていたりして。でも、それは一つの文化だった。ルーズソックスが流行っていた世代、スカートが長い世代、短い世代、といったような。

 

つまり、何が言いたいかというと、棲み分けですよねっていう話。

白衿白足袋の界隈があって、黒足袋をよしとする土地があって、十手を持つ人がいて提灯を持つ人がいて、風呂敷をひろげる人がいて、血が流れたつもり、だくだく、という人たちがいて。(何の話)
制服は正しく着たい子もいて、あるいはその規則から抜け出せないのだと思うし、その時代の「かわいい」を制服でも表現したい子がいて、校則とか生活指導の先生と戦ったり、とかまあ高校は割と自由な高校もあるから戦うこともないのかもしれない。

 

制服の話でいうと、私はスカートの丈を短くすることができなかった。足が太いことをとても気にしていたから足を出すなんてとんでもない、と思っていたし、髪もきちんと結んでいた、校則通りに黒とか茶のゴムで。それは私にとっての居心地の良さだった。「規則」の中に納まることが。
 

制服は「規則」だが、着物は違う。


伝統的にこうあったほうが望ましいということがあったとしても、それは「規則」とは違うから、家によって、それは土地柄とか親戚づきあいとか、経済的な理由とか、様々な状況下の中である程度変化することがあるものだ。そういう意味では「校則」も、学校によって変わるという意味で 似て非なる 非なる似たもの なのかもしれない。

冠婚葬祭茶道作法、極端な話、結婚式に喪服を着ていく人も、お葬式にウェンディングドレスを着ていく人もいるわけがない。(特別な理由が、なにか物語がある場合にはそういうこともありそうな気がするけど)

日常着として着ている人の好みの問題としてどうやって着ようと人の自由じゃないの、という境界線の話として棲み分けがあるよねという話。

 

着物、和服の業界というのは、もうほとんど壊死しかかっているのではないか。絶滅寸前。

noteにも書いたけれど、廃れていくその世界に足を踏み入れていく人たちの中に「進化」をもたらす人たちがいた。リサイクル着物を文字通りサルベージュして、時代の先へと手渡していく人たちが、この時代に(あるいはもっと先の時代の人に)合わせて着心地の良い着方を考案して魅せてくれることで、まだ「寸前」で済んでいるのだといっていい。

それは、結ばない帯結びだったり、三重仮紐の活用だったり、和洋折衷とか、ミセル裾除け(ホムシュヘム)だったり。

 

校則からはみ出すことに居心地の悪さを感じた私にはとても思いつかない進化のカタチ。

 

進化を遂げる生物がいてよい、進化を拒む生物がいてもよい。というか、「進化」というのは、いまのこの「変化」が「進化」であったのか「退化」であったのか、未来という時間の先で位置づけられるものだ。

裾を引きずる着物を着ている時代があって、帯を長く締める時代もあって、羽織の丈が長くなったり短くなったりしながら続いてきた着物という文化が衰退しつつあるのかもしれなくて、それでも、時代の変化を受け入れながら変わっていく着物を、時に疎ましく思いながら、時に疑いながら、それでも愛でていく。え・・・これって、最上級の愛と言っていいのでは?

そうさ、私たちは着物を愛している。

そして、誰が何を着てもいい。


制服の話でいえば、スカート丈が膝をかくしているとしても履きたいならルーズソックスにしていいし、メイクの話でいえば小麦色の肌に白いアイラインを入れる子がいてそれがかわいいと思うなら普通の肌の色に白いアイラインを入れたってかまわないわけ。

いやいや違う、ルーズソックスを履くならスカートは短くないとと思うならそうしたらいいし、白いアイラインは小麦色の肌じゃないと映えないと思うならそうしたらいい。

 

どんな着物を着ていようと、大人の兵児帯を結ぶことがかわいいと思えばそうしたらいいし、ホムシュヘムシュ・・もとい、ホムシュヘムをしたいならやってみたらいい。

自分らしさと違う、居心地が悪いと思ったらきっと自分の中で廃れていくのだから。

そして、いやいや、それは、そうじゃないわよ、違うわよっていう人がいたら棲み分けが違うんだねって思っていればいい。


 

そう、少なくとも私は、あの子たちと違うと思う線引きをする、その線を曖昧にしていくことが生きやすいってことだと学んだのではなかったか。
確かにそこにある棲み分け、領域があったとしても。

冒険は人生を豊かにする。

 

一軍のあの人たちが犇(ひし)めくあの店の、あの帯を、ポチっと。

あたしの着物のどれならあの帯を素敵にできるだろうか

パスポートがいらない小さな冒険が、始まる。

 

よし。

 

小奈津

 

 

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