はれうさぎ です
(SUZURI も遊びにきてね )
「東鯷人(とうていじん)」について ブログ にまとめました。
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※ 当ブログは、脳ミソ がポンコツ な私が「自分の為の 備忘録として」を主な目的として書いております。随時、加筆・修正アリ。(作成途中でアップしてしまっているモノもあるかも…?)なんだか いろいろ スミマセン
東鯷人(とうていじん)とは? 原縄文人って?
東鯷人 と 倭人
<参考・引用>
● 中国 の 後漢 の 時代、一世紀末 に成立した 漢書には 東鯷人 と言う民族が記述されている
● 東鯷人については、正史の記録は最初に漢書に見えるだけで、その後の歴史記録には現れない
● その漢書 の記録も、地理志には 會稽にやってきたとはあるが、帝紀にも 列伝にも 全く記載がない
● 倭人については 漢書地理志に ほぼ同じような記録があり、その後 継続して倭奴國(わのなこく) 朝貢 記事 などの交流の記録が正史に残る(←東鯷人 とは対照的)
● 五世紀の 後漢書東夷伝 では、東鯷人 については 倭人 に引き続くように書かれていて、倭人 と 東鯷人 を同じものではないかと疑っている様に見える
東鯷人(とうていじん) が住む 鯷壑(ていがく)とは
● 東鯷壑 と言う場所が有って、二十餘の国に別れている → 翰苑三韓条の註:「鯷壑 は 東鯷人 の住む所、海中の洲」という記述に繋がる
● 壑(がく) とは 溝 の意味
● 大壑、巨壑 は 大海 の意味
● 史記 に見える徐巿 の記事から分かるように、中国の東方海上に 神仙の世界がある との観念があり、その間に横たわる溝 と言う意味ではないか?
東鯷人(とうていじん) の「鯷」とは
● 現代の意味では「片口鰯(カタクチイワシ)」
● 古代では ナマズ の意味となる
● 呉は揚子江の河口域にあり、周辺は河川や湖などの淡水魚を産する場所が多い
→「鯷」すなはち「ナマズ」は 呉 を象徴するもの であった
● 梁時代(※1) の 沈約の詩 では、呉の東の海を 鯷海 と呼んでいる
→ したがって「鯷壑」とは 呉 の東の海 を意味すると思われる
※1:502年~557年
(補足:三国時代 → 184年~280年)
参考
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