方言の語り。2 | 働くママ(SOHO編)

方言の語り。2

語り手たちの会」初代理事長の櫻井美紀さん(故)が、「新たな語りの現状」と題して、現代の語り手たちについて書かれている。

 

伝承の語りが滅び、現代は書承の語り手が主流となる。
その問題点は、音の伝達だけであった口承文学が、文字をそのまま音声化した物語や昔話の伝達になっていることにある。
図書館主導型の語り活動においては特に、「文学体験としてのストーリーテリング」が重視され、テキストを一言一句違えずに語られる。なぜなら、その出典を明記しなくてはならないからだ。この場合、ストーリーテリングは、聞き手を読書へ誘う一手段となる。

それでは少し寂しいね。
しかし、その問題点を意識すれば、脱却点が見えてくる。

 

 

Ⅲ 書承の語り手、その語り方の傾向

西暦2000年を過ぎた段階で、明治生まれの優れた伝承の語り手の多くの方々が鬼籍に入られた。今、伝承の語り手といわれる方言の語り手は、ほとんどが大正期以後に生まれた方である。(中略)

しかし、“新たな語り”が、この三十年で台頭したことが、種々の現象で顕わになってきた。今、問題にしているのは、音の伝達だけであった口承の文学が、“民話の語り” “ストーリーテリング” の語を使われていても、文字の世界と密接な形で進行していることである。あるいは、文字をそのまま音声化して、物語や昔話を伝達しようとしていることである。それは図書館型の語りの場において堅く守られているように見受けられる。その根拠は “文学体験としてのストーリーテリング” ということばから来ている。図書館では話が終わった時点で「そのお話はこの本に入っています」と、語りの担当者が言わなければならないからである。図書館系の語りでは、本を紹介するためと「読書へのいざない」の一手段にストーリーテリングが行われるからである。

伝承の語りを聞きなれている人には、本に書かれた物語や昔話を、テキストのまま丸覚えして語る語りかたには異を唱える人が多い。たしかに本の字の通りに “一字一句たがわず” に語ろうとするのは大変な努力で、結果的に緊張の高さが語り全体を堅くしてしまうのである。また、あまりにも “字の通りに” 覚えすぎると、個性や自由さが失われ、語りの生気が感じられないのが難点であるようだ。

(中略)

私は以前、1909年から1998年までに日本で出版されたストーリーテリングの指導書、13種を調べたことがある。執筆者は岸辺福雄、水田光、下位春吉、松村武雄、久留島武彦、巌谷小波、ユーラリー・ロス、ルース・ソーヤー、小河内芳子、間崎ルリ子、松岡享子、アイリーン・コルウェル、櫻井美紀(以上出版順)である。どの指導書にも「本の字の通りに暗記するのがストーリーテリングである」とは書かれていない。それぞれの執筆者は少しずつ違うニュアンスで「お話を覚えるのは暗記することとは違います」という記述をしている。ロスと松岡と間崎の三人は「一語一語にこだわることはない」ということを根底にしながら「初心者に限り、本の言葉どおりに覚えなさい」となっている。

シンポジウム・書承から口承へ 〜伝承は滅びるか〜「新たな語りの現状」櫻井美紀(PDF)より

 

上記を最後まで読むと、その脱却方法について書かれている。

書承の語りから再び口承の語りへ、原点回帰を目指す。


民話研究者の小野和子さんの言葉が紹介されている。
「いったん文字通りにそっくり覚えてから、今度は覚えたことばを忘れなさい、テキストのことばを忘れてから自分のことばで語りなさい」


物語を心に深く沈めて。
時々、それをすくいあげて。

その脈動を感じれば、自分もおはなしも育っていく。