茂木 健さんの『バラッドの世界―ブリティッシュ・トラッドの系譜』
「赤鬼エティン」には、韻が登場する。
物語の起源を追う過程で、イギリスの昔話の主な伝承形式は、詩やバラッドだったのではないかと思うようになった。
茂木 健さんの『バラッドの世界―ブリティッシュ・トラッドの系譜』は、序章から強いインパクトで私を魅了した。
学生時代によく聴いた「Scarborough Fair」も、イギリスに古くから伝わるバラッドだったのだ。
「妖精騎士」の問いや語りかけに、けして答えてはいけない。
異界に引き込まれないために、妖精よけの呪いとして繰り返される言葉は、当時の薬草の名前だ。
Parsley, sage, rosemary, and thyme
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム
フェアリーは、時代を経てキリスト教的な「悪魔」のイメージに吸収されていったが、問答歌の本質に大きな影響はなかったようだ。つまり、次々と質問をしてまともな答えを得れば、とたんに自分の正体を明かして相手の魂を奪おうとするフェアリー(=悪魔)を、機知に富んだ答えでかわしていき、最後にフェアリーの正体を暴き異界(=地獄)へと追い返す、という物語の骨格はどの問答歌でも維持されている。《スカーバラ・フェア》には問答はない。しかし、この歌の原型とされる《妖精騎士》は代表的な問答歌であり、《スカーバラ・フェア》にもともと問答はなかった、とする根拠は希薄である。
P.18 「序章:≪スカーバラ・フェア≫の世界へのいざない」より
『怖くて不思議なスコットランド妖精物語』で紹介される「妖精の騎士」に、キリスト教の三位一体を象徴するクローバーが身を守る護符として登場する。
けれどもセント・クレア伯は真顔だ。
「それは危険と悪ふざけをするようなものだぞ。旅人があの荒野を横切ろうとして姿を消し、まったく行方不明になるというのは、童話などではないのだ。しかし妖精の騎士が、あの地を自分のものだとして、その地に踏み込んだ人間を連れ去るというだけで、あんなに素敵な楽しみがなくなるのは、貴公も言うように残念だ。いや、まてよ。三位一体(キリスト教の神を象徴する)のしるしを身につければ、例の騎士の一切の魔力から無事でいられるという噂を聞いたことがある。それを腕に結びつけ、ひるむことなく出発しようではないか」
P.44〜45 「妖精の騎士」より
植物で身を守る。
これって、「旅人馬」の蓬(よもぎ)や「食わず女房」の菖蒲の力と似ているね。
国や言葉が違うと気づきにくいが、私たちの昔話には共通点がある。
例えば、「なら梨とり」の岩の上のばあさまは岩の精、つまり「赤鬼エティン」で魔法の杖をくれる老婆と同じ妖精だ。
語り手は、ティンカー・ベルのような可愛らしい妖精のイメージを払拭する必要があるね。
古い時代に、遠く離れた場所で私たちが伝承してきたものは同じであり、それは、視えたり、感じたりしてきたものが同じだったことの証拠だ。
「自然」に正面から対峙して生きていた頃の名残り。
そしてそれはさほど遠い昔のことではない。
それを意識すれば、人はまた異界との境に立ち戻り、そこから力を得ることができるのではないかとも考える。
視えないものを信じたり感じたりする能力だね。
危ういけれども、その術をこそ、昔語りは伝えてきたのかもしれない。
仮定の話を用い、想像する力を借りて、日常に異空間を呼び寄せる。
ゆきてもどりし物語を繰り返すのは、いつでも戻ってこられるのだという暗示?
賢く強く、異界を味方につけて生き抜けと、昔話は教えている。