初版グリム童話集の「三枚の鳥の羽」は、別物でした。
グリム兄弟は、ドイツ在住の語り手から聞き書きした口承昔話を、作家ブレンターノに送っていました。しかし、ブレンターノはそれを活用することなく、その貴重な資料をグリム兄弟に返却することもないまま亡くなりました。
そこで、グリム兄弟は『子どもと家庭のメルヒェン集』を出版します。1812年の初版から、第7版(1857年)まで改訂を重ねてゆきます。
ところが、グリム兄弟が亡くなってから約30年後に、紛失したと思われていたグリム兄弟の手書きによる口承昔話の資料が発見されたのです。1893年、エーレンベルクのトラピスト修道院が所蔵していたブレンターノの遺品のなかから見つかり、「エーレンベルク稿」(1810年)と呼ばれています。初版の草稿ともいえる貴重な資料です。
そして、今日、ようやく初版グリム童話集の「三枚の鳥の羽」を読むことができました。それは、第二版以後の「三枚の鳥の羽」とは全く別物で、エーレンベルク稿17番とあります。2つの話は、語り手が異なるのです。
エーレンベルク稿では十七番。たぶん、ヴィルト家から。第二版以降は六十三番で、ドロテーア・フィーマンの話に基づく。AT402番。
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初版「ぼけなすの話/Von dem Dummling」KHM64a、グレートヒェン・ヴィルト他による語り
第二版以後「三枚の鳥の羽/Die drei Federn」KHM63、ドロテーア・フィーマンによる語り
多種多様な口承昔話が、文字として記録された時点でその命運を分けてゆきます。おそらく、取りこぼされ、消えてゆく昔話のほうが多く、初版グリム童話集の「三枚の鳥の羽」は、失われる寸前に幸運にも救われた昔話なのです。
さて、初版「ぼけなすの話/Von dem Dummling」の原文は下記にあります。
Von dem Dummling (1812) – Wikisource
王様が3人の王子に与える条件に、指輪は登場しません。
- 最も素晴らしい亜麻糸
- 最も素晴らしい絨毯
- 最も美しい婦人
末の王子にそれらを与えるのは、ヒキガエルではなく女の子です。
ただし、その子は結婚相手ではなく、「最も美しい婦人」へ案内するのみ。
すると娘は、きっとお力になりましょう。地下室をずっと歩いていきなさい、そうすれば世界で最も美しい婦人に出会えますから、と言いました。ぼけなすは歩いていくと、ある部屋のわきに出ました。部屋の中はなにもかもが金と宝石できらきら輝いていました。ところが、美しい婦人はいなくて、みにくいかえるが部屋の真ん中にすわっていました。そのかえるがぼけなすに「わたしを抱いて、沈め!」と、大声で言いました。ぼけなすはやりたくありませんでしたが、「わたしを抱いて、沈め!」と、かえるは二度、三度と大声で言いました。そこで、ぼけなすはかえるを抱いて沼まで運び上げると、かえるもろとも沼に飛びこみました。ところが、水がふたりに触れたとたん、ぼけなすは腕の中にこの上もなく美しい婦人を抱いていました。
初版グリム童話集〈2〉 P124ページより
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このおはなしに魔法の馬車は登場しません。
また、二人の兄が怠惰であるという表現は一切ありません。
初版の語り手は、スイスにルーツを持つ家系のようです。
それに対して、第二版以後の語り手ドロテーア・フィーマンは、フランスからの移民の家系でした。
ドロテーア・フィーマン(フィーメンニン、1755-1815)
15篇のメルヒェンを提供。カッセル地方の仕立て屋の妻であったが、野菜売りをしていたため、グリムは当初農家の夫人と誤解していた。グリム兄弟が生前に情報源として名を挙げた唯一の人物で、ドイツ生粋のメルヒェンの語り手として理想化されてきたが、のちの研究で彼女は旧姓をピアソンという、フランスから逃れてきたユグノーの家の出で、フランス語を操り文学的教養も高かったことが明らかになった。
彼女が知る「三枚の鳥の羽」は、シャルル・ペローの「サンドリヨン」に登場する魔法の馬車の影響を受けていたのかもしれませんね。ここ最近ずっと、そして今も探し続けているのですが、魔法の馬車の類話がほかに見つからないのです。
私が幼い頃に、祖母がディズニーの「シンデレラ」の紙芝居をしてくれました。夢のように幸せなひとときだったと、かすかに覚えています。音楽やナレーションのレコードもあり、私は夕日がさしこむ橙色の和室で別世界にトリップしていたのです。
あの魔法のかぼちゃの馬車は、ペローのオリジナルだったのかしら。。
いま、「シンデレラの謎」の本を手にとっても、「三枚の鳥の羽」は登場しないのです。
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